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沿革

教室の歩み

昭和45年4月、九嶋勝司初代教授(現名誉教授)のもと針生峰子助教授(現秋田大学医学部保健学科名誉教授並びに針生産婦人科内科クリニック院長)、そして村田純治助手(現村田産婦人科医院院長)の3人のスタッフで始動しました。半年後に県立中央病院が附属病院に移管されましたが、研究設備は無く、地下の倉庫のようなところで試験管を振ったそうです。九嶋先生からの「寡兵、兵求む」という一筆で、故小川英弌先生が馳せ参じたように、徐々にスタッフが充実していったそうです。

九嶋先生の学長就任の後を受け、昭和51年3月、第2代真木正博教授(現名誉教授)が就任しました。この年は秋田大学医学部の一期生が卒業した年でもあり、産婦人科にも新入局者がありました。その後現在に至るまで秋大卒業生の入局者が続いています。真木先生は腫瘍・周産期・生殖内分泌のいずれも偏らないことを信条とされていましたが、とりわけDICの真木として有名で、教室の仕事は産婦人科にとどまらず、全科における血液凝固の臨床・研究で貢献してきました。

昭和63年3月、斉藤良治助教授が弘前大学教授として転出しました。平成元年10月、針生先生が医療技術短期大学部教授・部長として転出しました。真木先生の退官の後、平成4年11月に第3代田中俊誠教授が就任し、平成22年3月まで教室を運営なさいました。平成9年4月、児玉英也講師が医療技術短期大学部(現医学部保健学科)教授として転出しました。

歴代教授

初代教授 九嶋勝司 昭和45年4月1日~昭和51年2月22日
2代目教授 真木正博 昭和51年3月1日~平成4年3月31日
3代目教授 田中俊誠 平成4年11月1日~平成22年3月
4代目教授 寺田幸弘 平成22年9月16日~現在
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