沿革

1.荒井三千雄教授時代1973年4月~1991年3月

秋田大学整形外科の歴史は、1970年9月、秋田県立中央病院に荒井三千雄先生が整形外科科長として赴任した時から始まる。 荒井科長は県立中央病院の国への移管後に助教授となった。1973年4月に秋田大学に整形外科学講座が開講したことに伴い、初代教授に就任した。

開講時の教室員は、荒井教授と服部彰助教授の2人であったが、その後、遠藤博之講師、鈴木堅二講師が加わり、1976年に秋田大学の第1期卒業生の阿部栄二先生、石原芳人先生、高濱正人先生が入局してからは経年的に教室員が増え、徐々に秋田県の整形外科医療の体制が整うようになっていった。

荒井教授は、学生講義資料をすべて自ら英文タイプで打ち、謄写版でプリントを刷って講義に臨み、さらに補習授業も行うなど、学生教育には非常に熱心であった。この講義集は1983年に「整形外科講義録」として製本され、その後10年以上、秋田大学整形外科オリジナルの教科書として学生講義に使用された。

臨床面では、専門の関節外科の手術が多かったが、なかでもCharnley型人工股関節手術は、開発者のProf. Charnleyに師事し、 1975年、全国に先駆けて導入した。本手術件数は退官までに250件に及んだが、その臨床成績は補正手術を要したものがわずか5例(2%)のみであり、現在の臨床成績を上回る優れたものであった。

研究面では、関節リウマチと筋血流を主なテーマとし、多くの医学博士を輩出した。 また、荒井教授の発案で始まった麻痺患者に対する機能的電気刺激(functional electrical stimulation; FES)の研究は、その後、島田洋一現教授の精力的な活動により、教室の主要な研究となり、現在では世界のトップを走っている。

2.佐藤光三教授時代1991年10月~2001年3月

1986年に東北大学から赴任した佐藤光三助教授は、1991年10月に整形外科学講座の2代目教授に就任した。

佐藤教授は、臨床面においては、より専門性を持った整形外科医の育成に力を注ぎ、脊椎脊髄外科、関節外科、腫瘍外科などの各分野において、それぞれ多くのスペシャリストを育成した。

なかでも、阿部栄二助教授(現秋田厚生医療センター名誉院長)を中心とする脊椎脊髄グループは、秋田大学独自のinstrumentation systemを開発し、このシステムを用いた後方経路腰椎椎体間固定術(posterior lumbar interbody fusion: PLIF)や、胸椎椎弓根スクリューによる側弯矯正手術など数多くの先進的な成果を挙げた。

当時は、胸椎椎弓根スクリューの刺入は危険すぎるということで敬遠されていたが、世界で初めて胸椎椎弓根スクリューの刺入法を確立したのは秋田大学整形外科である。 本法の論文を海外の学術誌に投稿した際、危険すぎる手技のために受理されなかったという逸話も残っているが、現在では、その強固な固定力や矯正力のために、本法は、脊椎手術において世界中で必須の手技となっている。

研究面では、佐藤教授の専門である骨代謝・骨粗鬆症分野を中心にトップレベルの業績を数多く挙げた。また佐藤教授は、日本の骨代謝研究を長い間牽引してきた代表的な研究者でもあるため、日本骨形態計測学会や日本骨粗鬆症学会などの全国レベルの学会が数多く秋田で開催された。

島田助教授(現教授)のFES研究は、1993年、秋田大学初の高度先進医療として国から承認された。この業績によって秋田大学附属病院は特定機能病院に認定された。

佐藤教授は、秋田大学医学部附属病院長を1997年~2001年までの2期務め、附属病院の歴史にも大きな足跡を残した。

3.井樋栄二教授時代2001年7月~2006年5月

1994年に東北大学から赴任した井樋栄二講師は、助教授を経て、2001年7月に整形外科学講座の3代目教授に就任した。

井樋教授は、肩関節外科の分野では世界的に著名な研究者であり、国際的に数多くの大きな業績を残した。多くの教室員が国際学会で研究成果を発表し、受賞も多かった。 それに伴い、国際交流が盛んに行われ、メイヨークリニックバイオメカニクス研究室へは、教室からの留学が継続して行われた。

島田助教授(現教授)のFES研究は、国内外の研究者との共同研究が進み、優れた臨床成績を挙げた。さらに、工学資源学部との共同で先端機器を開発した。

骨代謝グループでは、佐藤教授から引き継いだ骨代謝研究を宮腰尚久講師(現准教授)が中心となって継続した。さらに、メイヨークリニックとの共同研究として、骨粗鬆症患者に対する低負荷背筋運動療法について研究した。 骨軟部腫瘍研究では、アクリジンオレンジの臨床応用を推進した。

これらの中から、国際学会での発表や英語論文が増え、国際化が一気に加速した。井樋栄二教授は、5年間の在任期間を経て2006年に東北大学教授として転出した。

4.島田洋一教授時代2007年3月~

2007年3月、島田洋一教授が4代目教授に就任した。

島田教授は秋田県出身であり、札幌医科大学卒業と同時に秋田大学整形外科 学教室に入局した。同門から輩出した初の教授ということもあり、島田教授が誕生した時の秋田大学整形外科同窓会(整佑会)の喜びは大きかった。

臨床では、地方大学が持つ優位性を発揮するため、大学だけでなく、関連病院の勤務医、開業医が一体となった10の臨床グループが発足した。詳細は、本ホームページ上の臨床の紹介→グループ紹介(同門)→同門グループを参照願いたい。

なかでも、ASGの活動は全国トップレベルとなり、2017年に札幌市で第47回日本脊椎脊髄病学会を主催するまでになった。AORAは、荒井教授の伝統を引き継ぎ、我が国におけるリウマチの6大レジストリーのひとつとして膨大なデータに基づく業績を国内外に発信している。A-BONEは、宮腰尚久准教授の指揮下、高い論文業績を誇る。AIMGは、イリザロフ法による創外固定で症例数全国一位となり、外傷、変形矯正、難治性感染対策では突出した成果を挙げている。ASAKGは、膝周囲骨切り術の全国トップレベルとなり、内外から多くの医師が研修に来るようになった。AHRGは、大腿骨近位部骨折の新たな分類を作成し、雪国ならではの手術法評価を行っている。AHGは、多くの手外科、末梢神経手術やマイクロサージェリーを駆使して皮弁手術などを行っている。AFGは、近年増加している成人足・足関節分野で最先端の手術を導入し、全国区となった。これらの全グループの臨床、基礎研究を支えるAMAGは、我が国最高レベルの動作・歩行解析班である。

このように全ての分野を包括し、全教室員が臨床研究を行うことにより、大きな成果が出ている。2018年、第91回日本整形外科学会学術集会では、採択演題数62題で、全国第4位となった。教室員数一人あたりの採択数は間違いなく日本一であり、さらに発展を遂げている。

島田教授のライフワークであるFES研究は、世界的拡がりをみせ、FES機器NESS systemは多くの障害者に在宅で使用されるようになった。さらに、リハビリテーションロボットなど多くの先端機器を開発し、我が国の研究をリードしている。

社会貢献では、秋田県高校野球連盟と連携し、全国では初となる夏の甲子園への整形外科医師と理学療法士の帯同や各高校へのチームドクターを割り当てた。

その成果は、2018年夏の甲子園で金足農業高校の準優勝として花開いた。さらに、10年以上にわたり「骨と関節の日」の市民講座を開催し、運動器疾患の重要性を啓蒙している。プロスポーツでは、バスケットボールB1リーグ・秋田ノーザンハピネッツ、サッカーJ3・ブラウブリッツアキタのチームドクター団を編成し、全面的にバックアップする体制を整えた。

島田教授は2010年~12年まで附属病院副病院長を務め、東日本大震災では陣頭指揮を執って非常時の病院運営や災害対策にあたった。2017年4月には学長補佐に就任し、秋田大学の医理工連携部門長として東京工業大学・秋田県医師会との三者間連携事業の推進、秋田発の最先端リハビリテーション・福祉機器開発を県内企業と共に進めている。2016年には日本脊髄障害医学会理事長に就任し、脊髄再生などの最先端医療の展開や2020年の東京パラリンピック対策の先頭に立っている。