動物とヒトとのかかわり

ー特に医学において動物実験が果たした役割ー


科学の世紀と動物虐待法成立

 18世紀後半の産業革命をステップボードとして19世紀は科学が発展し、科学の世紀といわれるほどになります。医学においても19世紀直前の1796年にジェンナーが牛痘をもとに天然痘の治療を開発しました。19世紀前半のイギリスではナポレオン戦争に勝利し、その後植民地を拡大して、ビクトリア女王時代には大英帝国として繁栄します。このころ1859年にダウインがビーグル号でガラパゴス諸島などを航海し、「種の起源」を表しています。
 イギリス以外では、クロード・ベルナールが1865年に実験医学序説を表しています。彼は注意深い計画の基に研究を行うフランスの生理学者でしたが、無麻酔でイヌの実験を行っていたことに心を痛めていた彼の妻と娘は、ベルナールの死後、動物実験反対運動に身を置くことになります。


ベルナールと弟子たち

 ドイツのウイルヒョウ、コッホそしてフランスのパスツール等により医学にも目覚ましい進展がもたらされました。とくに動物を用いた実験により以下のような近代医学が開花したといっても過言ではありません。

癌遺伝子・癌抑制遺伝子の発見

19世紀中頃  癌の研究は顕微鏡での観察をもとに、ウイルヒョウをはじめとする細胞病理学者らによって大きな進歩を遂げた。
1911年癌遺伝子の発見
ラウスが鶏肉腫の研究より、癌ウイルス説を提唱するが、長らく無視される。
1970年代遺伝子工学の発展により、そのウイルスには癌遺伝子があることがわかる。
1976年ビショップらにより、鶏の癌遺伝子はヒトをはじめとする全ての細胞に存在することがわかった。
1928年癌抑制遺伝子の発見
ゴードンらの熱帯魚の研究に端を発する。
ワクチンの夜明け

助手とともにウサギで実験するパスツール
1798年  人類初のワクチン
ジェンナー(英)が牛痘ウイルスを人に接種する種痘法を考え出し、天然痘の予防に成功。 (1979年天然痘撲滅宣言)
1879年パスツール(仏)の家禽コレラワクチン
実験的に作成された最初の弱毒ワクチン
1881年パスツール(仏)炭疸菌(芽胞形成)のヒツジ、ウシへのワクチン
1885年パスツール(仏)狂犬病ワクチン
1955年ポリオワクチン
ソーク(米)が小児麻痺用ワクチンを発明。
その後多くのワクチンが作られている。


 しかし、そのように科学が進展するなか、イギリスでは1854年に動物虐待防止協会が設立され、アメリカにおいても1865年に米国動物虐待防止協会が設立されます。 1876年にイギリスで動物虐待法が制定されますが、ダウインも動物虐待法の成立に尽力した一人です。この動物虐待法が成立したきっかけはフランスの獣医学校におけるウマの無麻酔手術に対する批判に端を発しています。ちなみにエーテルでの麻酔は19世紀半ばにウエルズら(米)により開発されており、その後の優れた麻酔薬の開発も20世紀初頭のアメリカでの開発を待たなくてはなりません。

 この頃ドイツの哲学者であるニーチェ(1844〜1900)は「神は死んだ」の言葉に託して、キリスト教を根元とした西洋の道徳観を否定しました。このニーチェの考えは科学の進展にともない行き詰まりつつあった西洋の道徳観に新たなパラダイムを提示し、現代の思想家に大きな影響を与えています。動物観を含む西洋の既成概念がさらに新たな局面へと展開する原因の一つになったとも思われます。

ノーベル賞と動物実験

 ダイナマイトの発明で巨万の富を得たスエーデンの化学者ノーベルの遺言によりノーベル賞が設立されます。ノーベル賞は化学賞、物理学賞、生理医学賞、文学賞、平和賞の5部門がありますが、生理医学賞では1901年から2012年までに115件のノーベル賞が授与されています。そしてその受賞対象研究の78件(68%)が動物実験によるものでした。
下図は、ノーベル生理医学賞受賞対象研究に用いられた動物種の数を示すものですが、動物実験が生物医学の研究にいかに貢献してきたかが分かります。そして、今後も動物実験が必要不可欠な研究手段であることを示すものです。



 国別ノーベル生理医学賞受賞者数からみると、200人のうちアメリカが90人と半数近くを占め、次がイギリスの31人です。イギリスでは1876年に動物虐待法が成立しているため、動物実験の規制も厳しく動物を用いた研究は少なように思われますが、結構動物が使用されています。ただし、その中には軟体動物のタコや昆虫の蚊も含まれていますが・・・。

アメリカでの動物実験反対運動と動物福祉法の成立

 第一次大戦、第二次大戦中は軍事兵器の研究も含め、多くの動物実験が行われました。特に戦争により負傷した兵隊を治療するために各種の化学物質、抗生物質が開発され、また外科学が進展します。第二次大戦が終了すると、アメリカでは癌や心臓疾患などの研究のために連邦政府が資金を投入し始めました。その結果犬や猫を含む実験動物の需要が増大しました。そこで、1948年以後、動物収容所や動物保護施設に収容している犬や猫を研究所に引き渡すことを求める法律を各州が定めました。
 世界大戦により医学を含む科学が進歩しましたが、一方で科学の進歩は必ずしも人類に幸福をもたらすとは限らないという考えが出てきました。その極めつけが原子爆弾の開発です。科学という名目があれば何でも許されるとする科学至上主義は否定され、第二次大戦が終了してしばらくした1962年に除草剤や殺虫剤などの化学薬品の害を訴えた「沈黙の春」をレイチェル・カーソンが表しています。

 レイチェル・カーソンが灯した環境保護の火は動物保護へと飛び火し、さらにピーター・シンガーを筆頭とする動物権運動へと発展していきます。1960年代の初め頃、研究機関において実験動物の需要が増えていましたが、これに目をつけた悪質な業者が、飼い犬を捕まえて研究所に売却していたことをライフ誌がスクープし、それを契機に1966年に連邦政府の実験動物福祉法が成立しました。業者と研究所にはライセンスの取得が義務づけられましたが、当初のアメリカの動物福祉法は犬猫の盗難防止が目的でした。
 その後1980年代にサルに残酷な実験を行ったとして動物実験反対グループが告発したシルバースプリングス事件やペンシルバニア事件をきっかけに1985年に現在の修正動物福祉法が成立しました。この動物福祉法では研究に使用されるげっ歯類や鳥類は規制の対象から除外されていますが、これらを規制対象に加えることを決定したことが最近報じられています。

わが国の動物愛護法の成立

 わが国の動物の福祉に関する法律は「動物の保護および管理に関する法律」として昭和48年に制定されました。当時は捕鯨問題で日本が世界からバッシングを受けていた頃ですが、その前後に英国首相やエリザベス女王の訪日、天皇の訪英があり、日本としても先進諸国に伍する動物福祉法を制定する必要に迫られておりました。そのため急遽議員立法で動管法が成立したわけです。その後、昭和55年にこの法律の下に「実験動物の飼養及び保管等に関する基準」が制定されています。文部省は昭和62年に大学等の研究機関において適正な動物実験の実施を図るために「大学等における動物実験について」を通知しました。それを受けて各大学研究機関は「動物実験指針 」を制定し、動物実験委員会を設置し、動物実験計画書の審査を行っています。

 平成11年の暮れに「動物の保護および管理に関する法律」が改正され「動物の愛護および管理に関する法律」となりましたが、動物実験に関しては、従来の基準を遵守すべしとして改正からは除外されていました。2005年の再改正にあたって環境省に設置された中央環境審議会動物愛護部会は動物実験に関係する行政団体、学術研究団体ならびに動物愛護団体から意見を聴取して検討した結果、動物愛護管理法では基本事項つまり動物実験における国際原則である3Rを示すのみとし、実験動物の飼養保管に関しては基準を改正することとなりました。そのため、2006年に基準が改正され「実験動物の飼養及び保管並びに苦痛の軽減に関する基準」となりましたが、この基準も動物実験の内容にまで立ち入らず、実験動物の飼養保管を中心とした規定であり、動物実験に関する規制は関係省庁が定める基本指針に委ねられました。

 そのため2006年に文部科学省から各研究機関に対して適正な動物実験の実施を推し進めるために「研究機関等における動物実験等の実施に関する基本指針」が出され、農林水産省および厚生労働省からも同様の基本指針が出されました。さらに各研究機関で管理基準に格差を生じないように日本学術会議から「動物実験の適正な実施に向けたガイドライン」が出されました。研究機関はこれらの基本指針およびガイドラインにもとづき「機関内動物実験規程」を制定し、研究機関長の下で動物実験の自主管理に努めることになりました。

国際間の調和

 さて、ベトナム戦争が終わり、その後にベルリンの壁の崩壊やソ連の崩壊により世界は新たな局面を迎えています。またエイズ感染や狂牛病、環境ホルモン、臓器移植、遺伝子治療、クローン動物の作出など新たな問題も生じており、動物実験も新たな局面を迎えています。そして4億年前に水中から陸上へと進出した生物は、これから宇宙へ進出しようとしています.そのような状況の中で、動物実験の規制に関する国際的なハーモナイゼーションが提起されています。以下に国際的ハーモナイゼーションの状況について述べます。

 1949年にWHOとUNESCOが共同して国際医学団体協議会(CIOMS : Council for International Organizations of Medical Sciences)を設立しました。これはスイスのジュネーブに本部をおく非政府組織で、その目的は「幾つかの医学生物学分野の国際的学術団体や国内の研究機関が特に必要と認めたときに、医学生物学分野において国際的な活動を推進することにある」とされています。 CIOMSは1984年に「動物を含む生物研究における国際方針(International Guiding Principles for Biomedical Research Involving Animals)(Principles)」をまとめています。
 また、欧州には外交文書(documents)と指令(directives)があります。これらは実験目的および他の科学的目的に使用される動物の保護に関する法律、規則、行政条項を加盟国間で接近させるものです。外交文書は1985年5月に“実験および他の科学的目的に使用される脊椎動物の保護に関する欧州協定”(European Convention on the Protection of Vertebrate Animals Used for Experimental and Other Scientifics Purposes)(協定)として出され、この外交文書を補う形で1986年11月にCouncil Directive 86/609/EEC(EU 指令)」が発令されました。EU 指令と1996年に米国の国立研究協議会(NRC)の依頼により実験動物資源協会(ILAR)が作成した「実験動物の管理と使用に関する指針(Guide for the Care and Use of Laboratory Animals)」とは多くの一致点があります。また、1986年に英国の動物虐待法が100年ぶりに改正され「動物(科学的処置)法 1986」となりましたが、これもEU 指令の内容をカバーしています。

 わが国で今回改正された動愛法を先進諸外国の法律と比べてみると、施設の認定や査察といったところが今後の課題になると思われますが、一般市民の動物実験に対する不信感を払拭するための努力として、各研究機関では動物実験基本指針への適合性について内部検証を行い、さらに外部検証を受け、その結果をホームページ等で公開しています。外部検証に関しては米国のAAALAC(動物実験施設認定協会)の検証形式にならい、文部科学省傘下の研究機関(例えば大学等)に対しては国立大学法人動物実験施設協議会および公私立大学実験動物施設協議会が、厚生労働省傘下の研究機関や製薬企業に対してはヒューマンサイエンス振興財団が、実験動物のブリーダーに対しては日本実験動物協会が行い、各機関の動物実験基本指針への適合性について審査しております。

おわりに

 これまで述べてきたように動物実験に対する人々の考えは、時代、地域そして宗教により異なります。そして、それぞれの国で独自の法規制により適正な動物実験の実施に努めています。しかし、きわめて厳格な法規制がある国においても動物実験に反対する人々がいます。動物実験反対団体の意見を入れて、さらに厳格な法規制を行った場合には、国益を損なうことも考慮しなければなりません。国際医学団体協議会(CIOMS)の国際原則のなかでは動物実験に対して法で規制することの必要性が述べられていますが、さらに次のようにも述べられています。「必要な生物学的試験の実施や医学生物学の進展を過度に妨げるような制限であってはならない。しかし、それと同時に、医学生物学者は、用いる動物に対して人道的な敬意を払うという道徳上の義務を見失ってはならない」。

 また、環境省から出されている「動物の愛護及び管理に関する施策を総合的に推進するための基本的指針」には、「個々人における動物愛護及び管理の考え方は、いつの時代にあっても多様であり続けるものであり、また、多様であって然るべきものであろう。しかし、万人に共通して適用されるべき社会的規範として動物の愛護及び管理の考え方は、国民全体の総意にもとづき形成されるべき普遍性及び客観性の高いものでなければならない」と述べられています。

 社会の変化に合わせ今後も動物愛護管理法の見直しは続くものと思われますが、国民全体の総意にもとづく法規制を実現するためには、各研究機関は機関内規程にもとづき研究機関長管理の下に動物実験委員会を中心とした自主管理を推進するとともに、研究者側が常に動物実験の必要性を国民に説明していくことが重要であると考えます。

参考文献
  1. ヒトと動物の関係学第1巻動物観と表象 実験動物の倫理(奥野卓司、秋篠宮文仁編)ー実験動物医学の立場からー 松田幸久著 岩波書店
  2. 科学の起源 平田 寛著 岩波書店
  3. 図説科学・技術の歴史 平田 寛著 朝倉書店
  4. 医学の歴史(1) シーガー・アンダーウッド著(酒井シズ・深瀬泰旦訳)
  5. 科学と技術の歴史 道家達将、赤城昭夫著 放送大学教育振興会
  6. 動物に権利はあるか ローレンス・プリングル著(田邊治子訳 )NHK出版
  7. 動物たちとの契約 デズモンド・ボリス著(渡辺政隆訳) 平凡社
  8. 医の倫理ー何をどう考えるか− アラン ジョンソン著(森岡恭彦、上竹正躬訳) 南江堂
  9. 動物の心臓ならびに血液の運動に関する解剖学的研究 ハーヴェイ著(暉峻義等訳) 岩波文庫
  10. 方法序説 デカルト著(谷川多佳子訳) 岩波文庫
  11. 実験医学序説 クロードベルナール著(三浦岱栄訳) 岩波文庫
  12. 沈黙の春 レイチェル・カーソン著(青樹梁一訳) 新潮社
  13. パストウール 川喜田愛郎著 岩波書店
  14. セレンディピティー ロイストン・ロバーツ著(安藤喬志訳) 化学同人
  15. ノーベル賞受賞者総覧 ノーベル賞受賞者総覧編集委員会 教育社
  16. ノーベル賞の人びと(1)生命をまもる 生理学医学賞 ネイサン・アーセング著(牧野賢治訳) 大日本図書
  17. 21世紀を読みとく ノーベル賞の科学(生理学医学編) 株式会社技術評論社
  18. 生物と無生物の間に 福岡伸一著 講談社現代新書
  19. 白い航跡 吉村 昭著 講談社文庫
  20. 死の病原体プリオン リチャード・ローズ著(桃井健司・網屋慎哉訳) 草思社
  21.  なぜサルを殺すのか デボラ・ブラム著(寺西のぶ子訳) 白揚社
  22. さあ、宇宙へ飛びだそう!ー宇宙の不思議 うそ、ほんとー 宇宙開発事業団(NASDA)
  23. 諸外国における動物実験の法規制に関する調査研究
    前島一淑、下田耕治、山口千津子 昭和63年〜平成2年度文部省科学研究費補助金(一般研究C)研究報告書
  24. 特集:アメリカ合衆国およびカナダにおける動物実験のオールタナティヴ
    前島一淑,松田幸久ら アニテックス9月号(1990年)
  25. 特集:北米における動物委員会の運営,実験計画書の審査および動物実験施設の評価
    前島一淑,松田幸久ら アニテックス5月号(1992年)
  26. 総説:医学研究に おける動物実験の必要性について〈1〉
    塩見,松田幸久ら アニテックス 9月号(1993年)
  27. 総説:医学研究に おける動物実験の必要性について〈2〉
    塩見,松田幸久ら アニテックス 11月号(1993年)
  28. ブリタニカ国際大百科事典(1974年版)
  29. International Harmonization of Animal Care and Use (Lab Animal, Vol27 1998)
    (動物の管理と使用に関する国際的ハーモナイゼーション) 訳者(松田、森本)
  30. US and UK Control of Lab Animal Experimentation (Lab Animal, Vol27 1998)
    (アメリカとイギリスにおける動物実験の規制) 訳者(松田、大和田)
  31. Veterinarians In Research Labs Address Conflicting Agendas (THE SCIENTIST ; May 26,1996)
    (研究機関における獣医師の科学的立場と倫理的立場) 訳者(松田)
  32. Science and Self-Doubt
    Why animal researchers must remember that human beings are special. ( By Frederick K. Goodwin and Adrian R. Morrison REASON * October 2000 )
  33. Advances in medicine through animal research

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松田幸久 講義・講演