実験動物の供養について想う

西法寺住職 佐々木令章和尚
 秋田大学に医学部が創設されて、3年目に当る47年9月には、医学研究のために、遺体を献体、または解剖に提供された、故人の冥福と感謝を表するため、第一回解剖体慰霊祭が天徳寺に於て、厳粛裡に執行され、更にまた同じく、医学研究のために、不本意のうちに実験動物として実験のために、肉体提供の犠牲にさせられた数多くの動物のために、西法寺本堂に於て、実験動物慰霊祭が関係者多数参列のもとに厳修されました事は、誠に意義ある事と思います。

 この追善供養は「死者や其他の霊をなぐさめるための、いとなみ」として、行なわれるものですが、其他の霊と称せられるものの対象として、動物をはじめとし、それが無生物迄およんで居り、その例としては、古くから行なわれている、針供養や茶道の茶筅供養、人形供養、其他があります。この事は無生物に霊魂が存在すると信じて、供養が行われているとは、限りませんが、少なくとも動物には人間と同じく生命を有するものであるという意識を大事にすると云う事によって、実験動物に対する慰霊祭は、無意味であるとか、偽善的であるとかと云う批判は聞かれないと思う。いかなる動物にしても生命を奪れる事を恐れ嫌らっている事は否定出来ない。野犬狩の時の犬達が「犬殺し」が近くに来ると一はやく身の危険を感知し、必死になって逃げ去ると云う。

 実験動物慰霊祭は毎年の行事として執行され、その都度新聞、ラジオ等で報道され、心ある人の関心を呼んで居ります。3年前の事であるが慰霊祭の記事を新聞で見た一女性より一通の手紙が届いたが、それには三つの質問が呈示されてありました。

  1. 実験動物は慰霊祭をしてもらって、よろこんでいるでしょうか。
  2. 実験動物として犠牲になった事を、怨みに思っていないでしょうか。
  3. 実験動物として生活中を苦しみとして感じていたでしょうか。

 年齢不詳のこの女性の手紙は、あたかも、実験動物の怒りの心を代弁して、訴えているように感じられ、胸をうつものがあった。実験動物の犠牲なくしては、医学の研究も進歩発展は考えられないと知りながらも、新聞紙上に発表されている数多くの実験動物を思うとき、少しでも無用な殺生をやめさせ、犠牲になっている弱い動物たちに感謝をし、そして愛護してやりたいという感情の発露とも受けとめられた。

 何とぞ実験動物慰霊祭の執行により、一時も早く怨恨の炎の心を消滅し、自己犠牲が援苦与楽の功徳を大衆に与えた事を覚り、すみやかに浄土に還帰せん事を祈念します。

注)
これは秋田大学医学部附属動物実験施設ーその誕生と十年の歩みーに(昭和62年)に掲載されたものです。

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