動物実験が不得手な人々

第二病理学講座 助教授増田弘毅
 私達(少くとも私のまわりにいた)病理学者、特に人体病理や外科病理が専門の人々は動物実験が不得手です。理由はあります。まずはじめに私達の先輩が動物実験をやらなかった事です。このため教室の中には実験システムがなく、経験もない。次に剖検等によってあまりにも複雑な病変ばかりを見ており、これを整理して実験計画を立てることができない。この2点が大きな理由です。実際、剖検のあとで顕微鏡をみながら細かい所見を取っているとまるで動物実験なんかやらなくても充分に自分の世界が楽しめる。この状態で病理学教室の中でもだれも疑問を持たない。これはまるでむかしの天文学者が星をみながらギリシャ神話かなんかを作っているみたいなものである。まだ天文学の方がましである。星は手がとどきはしないけど、死んでいるのではないから。

 僕も動物実験を始めるまでは、動物実験の意義(病理学においての)に否定的であった。これは動物実験でまちがってしまう事に対する恐れでした。また実験を始めると病理学から離れてしまうのではないかとも恐れていた。こんな時、先輩の病理学の先生が彼の実験にさそってくれました。先生は何でも疑問は実験で確かめるのが自然と言うわけです。私が病理解剖をやりながら考えた血管病変の仮説を、実験的に証明するのは当り前です。実験は週1回から2回東京女子医大心研で行っておりました。数ケ月手伝っていると、先生は急に北大応電研の教授になられ、札幌へ行ってしまい、そのあとの東京での実験は僕がフォローして自分で実験を進めていきました。秋田大学に来るまでに約100頭の犬を実験できました。何回も同じ実験をやっています。秋田大学ではじめて自分の大学の実験施設を利用できました。外様としてやっているというプレッシャーのない実験を初めて行いました。気分的に楽ですが、反面甘い所も出て来て、いろんな物事を私物化して考えてしまう事もあり、良し悪しです。今も同じ実験を続けています。それは血管の局所的な血流を変えてやると血管がどのように変化するかという実験で、血管の病理・生埋の領域では永遠の命題であると考えています。

 今後とも動物実験施設は楽しく、fairに、充分に目的を持って使用していきたいと思っておりす。

注)
これは秋田大学医学部附属動物実験施設ーその誕生と十年の歩みーに(昭和62年)に掲載されたものです。

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