黄河のほとりへ(3)

 蘭州はラーメンの発祥の地、 西域交通の要でマルコポーロも通った所と聞く。いよいよ黄河のほとりへと旅立つ。たまたま、宮脇俊三の「中国火車旅行」を読んでいたこともあり、蘭州へは汽車で行くものと早合点していた。しかし、約2000Kmの距離は汽車では3日かかるという。それでは3泊4日の旅程は車中だけで終わってしまい,それこそ宮脇俊三の世界に入ってしまう。中国大陸を車窓から眺めるというのどかな旅は諦め、北京から蘭州まで飛行機で行くこととなる。その飛行機は旧ソ連から購入したとの風評もあり、いつ落ちても不思議はなさそうな代物。渡された切符の座席番号など何の意味もなさず、座席は早い者勝ち。既にダンボールや鞄などが棚に満載されており、我々の手荷物を置く場所もない。それでも何とか席を確保し腰を落ち着ける。しかし、今度は不審な荷物があるので自分達の荷物を持ち、一旦飛行機を降りるようにとの指示がでる。一時間遅れの午後5時30分にやっと飛行機は北京空港を離陸した。

 機内では何もすることがないので近くにいたスチュワーデスの様子を見ていた。彼女はサービスらしいことはせず,あろうことか約2時間の飛行中居眠りをしていた。ランディングの衝撃でハッと目を覚ますとバネ仕掛けの人形のように椅子からピョンと立ち上がり、何事も無かったかのように我々を機外へと送り出す。中国の女性が不作法なのは文化大革命の際,毛沢東主席が「まず破壊せよ,建設はそこから始まる」と唱え,礼儀正しさまでも過去の悪習として捨て去せたからだとか。料理が下手であるということがインテリ女性の肩書きであるとうそぶく若いアメリカ女性が多いように,中国の若い女性は礼儀をわきまえないことが近代女性の証であると信じているのか。日本のデパートに相当する友誼所の女店員達が無造作にお釣りを投げてよこすが,これにはさすがにカルチャーショックを受けた。しかし、日本も案外同じような方向に向かってているのかもしれない。レトルト食品の氾濫や,オバタリアンあるいはコギャルと称する女性達の言動にその傾向を見る。

 夜の8時過ぎ闇と化した蘭州空港に降り立つ。場末のキャバレーのようなネオンのついた空港ビルに入り,蘭州市生物製品薬品研究所から迎えにきた馬さん,テイさんと挨拶を交わす。彼らの案内でとっぷりと暮れた道を車で1時間かけて蘭州市内にある飛天飯店へと向かう。沿道に点在する民家の窓から漏れる白熱灯の明かりは石造りで窓の少ない北京の住居とは異なり、幼い頃に見た日本の風景と重なる。蘭州は親しみの持てそうな町である。

黄河のほとり(4)