ベーリング
- ジフテリアなどの細菌感染に対し、感染動物の血清を利用して予防・治療する手法を確立しノーベル生理学医学賞を1901年に受賞した。
- 破傷風の血清療法を開発した共同研究者の北里柴三郎は受賞せず。
- 東大で助手をしていた1885年にドイツに留学しコッホに師事する。
- 1889年に世界で初めて破傷風菌の培養に成功。
- 1890年に嫌気性菌の培養法を確立(破傷風菌は今では嫌気性菌として知られており。普通の細菌と違い酸素を嫌うので培養が難しい)。
- 破傷風菌の抗毒素を発見。
- 菌体を少しずつ動物に注射しながら血清中に抗体を作り出す「血清療法」を開発。
- 1901年に同僚であったベーリングがジフテリアに対する血清療法で第1回のノーベル生理学医学賞を受賞するが、これは北里が開発した血清療法の二番煎じ。
- 何故、北里がノーベル生理学医学賞を逸したか。
- 当初のノーベル賞の受賞者は欧米人中心であった。
- 今と違って1つのテーマで複数人が受賞することは考えられなかった。
- ドイツでは国を挙げてベーリングがノーベル生理学医学賞を受賞するように応援した。
- 一方、北里はドイツ留学を勧めてくれた東大教授が脚気細菌説を発表した論文を批判したため、東大閥(陸軍軍医総監の森林太郎が先方)から忘恩の徒とみなされ日本からの応援はなかった。
- 1894年にペストが蔓延している香港に派遣されペスト菌を発見した。