私論

リオデジャネイロオリンピックに想う

教授 島田洋一

8月5日~21日までの17日間、リオデジャネイロで第31回オリンピックが開催された。ギリギリまで施設工事が続くなど準備不足が報じられ、治安の悪さ、テロの危険性など、何故開催地に選んだのかという声まであった。しかし、南米大陸初のオリンピックは、サンバのリズム通り、熱い感動をもたらしてくれた。

柔道の復活は見事で、井上康生監督は『名選手、必ずしも名監督にあらず』を覆してくれた。今まで、美しい日本の伝統武道『柔道』に拘り、世界の『JUDO』に適応できなかったことは否めない。今回、ルールの改正も追い風になったが、体力に勝る外国選手に負けないパワーを身につけた日本選手は、正に『柔よく剛を制す。剛よく柔を断つ』を示してくれた。

体操は、ハラハラドキドキであったが、男子団体、個人共に金メダルという快挙を成し遂げた。一進一退の展開にも動ぜず、自分たちの力を信じて戦った選手たちに拍手喝采である。

ちなみに、1964年の東京オリンピックの男子団体総合では、日本はローマ大会に続いてソ連に大差を付けて2連覇を果たしている。その主力で、個人総合でも金メダルを獲得した遠藤幸雄は、秋田市出身で、秋田工業高校卒である。東京オリンピックの選手団主将で、開会式で選手宣誓を務めたのは、体操の小野喬である。小野は、旧制能代中学(現・能代高校)出身で、ヘルシンキオリンピックから4大会で金メダル5個、銀メダル4個、銅メダル4個を獲得した名選手で、東京大会でも団体メンバーとして金メダル獲得に貢献した。このように、当時の体操は、正に秋田県人によって成り立っていた。2020年の東京大会での連続金メダルを期待している。

陸上競技では奇跡が起こった。短距離走は、人種的差が大きく、黒人選手の独断場で、日本人の出る幕はなかった。前回ロンドン大会で銅メダル獲得という快挙を成し遂げたが、ジャマイカ、アメリカなど、筋骨隆々たる黒人選手が疾走する国々と勝負になるとは誰も思わなかった。日本チームはトラックに登場する際、侍をイメージさせる抜刀ポーズで現れた。彼らは世界最高の精密バトンパスの技術をフルに活用し、何と銀メダルを獲得した。アメリカはバトンミスで失格になったが、ゴールには日本が先であった。人種差を克服し、偉業を成し遂げた彼らは、正に人類の常識を覆した英傑である。

ところで、南米諸国のほとんどがスペイン語なのに、何故ブラジルだけがポルトガル語なのか不思議に思い、調べてみた。それは、トルデシリャス条約というものに拠ることがわかった。

1492年、コロンブスが西インド諸島に到達し、帰還したことによって、ポルトガル、スペイン両国において「新世界」への冒険的航海がブームとなった。すでに1481年に布告された教皇シクストゥス4世の回勅『エテルニ・レギス』(永遠の王)で、カナリア諸島以南の新領土はすべてポルトガルに与えられると定められていた。

ところが1493年になると、スペイン出身であった教皇アレクサンデル6世が自国に便宜をはかろうとし、カーボベルデの西わずか100リーグの地点を通過する子午線を境界線(教皇子午線)に、それより東側はポルトガルに優先権を認めるにせよ、西側の土地はすべてスペイン領にするという回勅『インテル・チェテラ』を布告した。

西方への航海熱が高まっていた時代、当然ポルトガルのジョアン2世にとってこの裁定は面白くなかった。そこでジョアン2世はスペインのフェルディナンド2世と直接交渉してこの決定を覆し、境界線をさらに西側(結果的には教皇子午線よりさらに270リーグ西側)に移動させようとした。それによって「アジア」におけるスペインの影響力を抑えようとしたのである。

こうしてスペイン・トルデシリャスで改めて結ばれたのがトルデシリャス条約であり、この条約を教皇が承認することで1493年の回勅を無効化することができた。トルデシャス条約は1506年にユリウス2世によって廃止されるまで有効であった。スペインはこの条約のおかげでアメリカ大陸の全域で優先権を持つことができた。ただ、現在のブラジルにあたる領土は1500年にペドロ・アルヴァレス・カブラルが到達したため、ポルトガルに与えられた。このことによってブラジルはポルトガル語なのである。

大航海時代を経て、白人の侵略、アフリカからの黒人奴隷の移住など、暗黒の歴史の中から生まれた南米諸国であるが、リオデジャネイロオリンピックの開催で名実共に世界に伍することができたのである。準備が遅いとか、治安が悪いとか勝手な要求をしてばかりの先進国は、もっと根本に立ち返る必要があったのではと深く考えさせられた。