私論

歴史を学び、○○至上主義に立ち向かう

教授 島田洋一

昨今、日本人のノーベル賞受賞が相次いでいる。それも生理学・医学賞、物理学賞、化学賞といったサイエンスの根幹を成す部門である。2012年の山中伸弥京都大学教授のiPS細胞研究による受賞は、記憶に新しい。山中教授は、大阪市立大学整形外科に入局した整形外科医であったため、我々にもなじみが深い。アジアの隣国は喉から手が出るほどノーベル賞を欲しがっているが、その敷居は未だ高い。

高山正之著『偉人リンカーンは奴隷好き;新潮文庫』を見出しが面白そうなので読んでいくと、『ノーベル賞は白人が横取りする』という章に至った。正に意を得たりと思うので紹介する。

第1回のノーベル医学賞は、ジフテリアの血清療法に与えられた。これは、北里柴三郎がドイツのベーリングと共同で発表したものだが、受賞したのはベーリングだけであった。北里柴三郎は、すでに破傷風の研究で地位を築いていたが、白人ではないことから外されたとされる。

高峰譲吉は、副腎皮質ホルモンを世界で初めて結晶化し、アドレナリンと命名した。しかし、米国のエーべルが横取りし、エピネフリンと名付けた。さらに、アクセルロッドは、アドレナリンを脳伝達物質とすることでノーベル賞を得た。

日清戦争、日露戦争で亡くなった兵士の死因は、戦傷ではなく、脚気が第1位であった。まだビタミンが発見されていない時代である。これを発見したのは鈴木梅太郎であり、オリザニンと名付けた。しかし、ポーランドのフンクがビタミンと言い換えてしまった。さらにノーベル賞を受賞したのはオランダのエイクマンである。

ピロリ菌は、小林六造が猫の胃から発見したもので、ヘリコバクター菌と名付けた。しかし、ノーベル賞は、オーストラリアのマーシャルが受賞した。

一方、医学以外にも多くの似たような事がある。秋田県にゆかりが深いものとしては、にかほ市にあるTDKの創始者である武井 武がいる。武井は、加藤与五郎と共に『フェライト』を発明した。これは、テープレコーダーやコンパクトカセットなど磁性記録等多くの電子機器の基礎となっている。注目を浴びているスティルス性能にも応用されている。この技術をオランダのフィリップ社が勝手に特許を申請した。しかし戦後、GHQの命令でこれを飲まざるを得なかった。武井理論は、フランスの物理学者ルイ・ネールが自分の名前で出してノーベル賞を取ってしまった。

このように、我々の先祖は、白人至上主義の時代に煮え湯を飲ませられ続けてきた。これらの差別の中でもアジア人として歴史的発見をしてきたのは日本人である。決して白人の物まねが上手い姑息な国民ではないのである。

自分の歴史に当てはめてみると、かって脊柱側弯症手術は、伝統ある大きな大学の有名教授しか手を出してはいけない分野であった。それは、合併症発生率が高かっためである。

当時の整形外科医の中で最も上位にランクされるのは明らかに側弯症を専門とする教授たちであった。そのような中で、戦後初の国立大学医学部とはいえ、歴史の浅い地方大学である秋田大学整形外科が側弯症の分野に参画することは正に挑戦と言えた。

英国留学で初めて見たCD instrumentation手術の衝撃は大きかった。その後、pedicle screwのみで行う後方矯正固定術に果敢に挑み、従来法では得られない3次元矯正力、少ないimplant failureを全国学会で発表し、論文化した。

しかし、一種の白人至上主義と同じ大都市、帝国大学至上主義が蔓延る当時の学会では筆舌に尽くしがたい暴言を聴くはめになった。それだからこそ自分たちの正しさを証明するため地道な努力をしてきた。

おかげで、本法は国内だけでなく、世界中でゴールドスタンダードになった。最早○○至上主義に文句を言われる時代ではなくなった。

上記のノーベル賞も自分たちの経験もインターネット時代では遠い昔となりつつある。いかに情報発信が重要で、それを十分に活用した者に勝利は微笑むことを認識する必要がある。そこには待ちの姿勢はない。

最近、中国からの英語論文が急速に増加している。私が専門とする脊椎脊髄外科でも一昔前の日本のように中国人筆者が溢れている。経済的発展がそのまま持ち込まれたような勢いがあり、我々も手をこまねいてはいられない。膨大な人口を背景にした症例数の多さ、規制が緩いため臨床治験が導入しやすい環境など、まともに行っては将来的に勝ち目がない。

我々は、先に紹介したノーベル賞級の発見をした先人たちの功績、生き様を真剣に学ぶ時期に来ているのではと思う。