実験動物の「福祉」

動物実験施設長 奥原英二

 これまでの研究生活で、動物実験に殆ど直接の縁がなかった私が、動物実験施設にかかわりをもつようになってから、最もインパクトを心に受けたのは実験動物の慰霊祭である。この種の慰霊祭をやることは我々日本人社会では習慣になっているが、さて外国ではどのようにやっているのであろうか?私自身の米国留学中には全く見たことも聞いたこともない。勿論、慰霊祭をやるとやらざるにかかわらず、研究者の動物愛護精神や動物の扱いにおいて日本人と欧米人との間に特に差異があるとは考えられない。たとえ個人的差異はあるにしても。

 長期間にわたり多数の動物を実験に供した研究者であれば誰でも犠牲になった動物の供養をしたくなるのが自然の情というものであろう。それは慰霊祭に出席される参加数と出席者の真剣なまなざしから感取される。各人が何を考えておられるのかは知る由もないが、流れる読経のなかで感謝の気持と深い反省の思いに混ることであろう。庇理屈はともかく、慰霊祭を施行することは動物にとっても人にとっても大変良いことであると思っている。生きとし生けるものに畏敬の念をもち、人が動物にたいしても素直な仲間意識を持つようになれたらどんなに素晴しいことであろう。

 最近、毎日新聞に実験動物の「福祉」という問題について記者の目の捉えた記事を読み、いたく考えさせられた。欧米における実験拒否学生の増加とか動物虐待防止運動などは“科学至上主義”に疑問を投げかけるひとつの動きだと思えると述べている。欧米のこの流れは日本にもすでに波及し始めた。現段階ではどうにもならない困難な問題ではあるが、欧米で行われている厳しいチエックに耐え得るような実験指針の作成が我が国でも行われるようになるであろう。21世紀への飛躍は先ず意識の変革からということであろうか。そろそろ発想の転換を計る時なのであろうか。



注)
これは秋田大学医学部附属動物実験施設ーその誕生と十年の歩みーに(昭和62年)に掲載されたものです。

随筆
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