附属動物実験施設30年のあゆみ

附属動物実験副施設長 松 田 幸 久
1.施設の変遷と概要

建物と設備に関して

 医学の教育、研究には動物実験が不可欠である。そのため医学部設立当初(昭和45〜46年頃)から元県立病院裏につくられたプレハブの動物舎において動物の飼育が行われていた。医学部基礎棟の完成後(昭和47〜48年頃)には医学部中央動物舎を建設する前段階としてプレハブの仮設動物舎が本道地区につくられ、機器センター(現附属実験実習機器センター)の管理下におかれた。昭和52年に900m2の動物実験棟が竣工し、小規模ではあるが空調機を備えた近代的な動物実験施設ができ、昭和55年には省令施設となった。しかし、当学部における研究が盛んになるにつれて動物実験施設の利用者も増え、900m2の施設では手狭となった。そのために昭和57年に1,800m2が増築され総床面積2,700m2となって現在に至っている。それまでの経過は当時の施設長であった奥原英二教授の編集による「秋田大学医学部附属動物実験施設ーその誕生と十年の歩みー」(昭和62年3月)に詳しくまとめられている。

 科学的な動物実験を行うためには再現性を確保することが最も重要であり、動物実験施設では常に一定の環境を動物に提供しなければならない。そのため環境要因に含まれる温度、湿度を一定に維持するための空調機が重要である。しかし、施設には空調機を専門に整備点検できる職員がいないことから空調機の老朽化が早まり、平成3年頃から故障が頻発し、飼育動物に被害が生じるようになった。当時、衛生学講座の小泉昭夫教授(現京都大学医学部教授)は「エネルギー制限による老化遅延のメカニズム」を研究していたが、空調機の故障による低温が原因で実験中のマウスが何度か死亡した。その都度施設に怒鳴り込まれ身の縮む思いをした。そのようなこともあり平成5年に施設空調機の全面的な改修工事が行われた。それまでは深夜や明け方に故障警報が出てエネルギーセンターから頻繁に呼び出しを受けていたが、改修後は事務部の協力により業者による定期的な整備点検が行われており、その後は空調機の故障で悩まされることが少なくなった。しかし、空調機は常時休むことなく稼働しているため、改修後7年を経過した現在、そろそろ再改修も含めて施設の整備を再考する時期にきている。ところで、小泉教授が飼育していたマウスであるが、C57BL/6の小町と名づけられた雌マウスは4年3カ月生存し、ギネス記録を更新する直前の平成9年1月に逝去したことが衛生学講座のホームページに掲載されていた。寿命を延ばした要因には空調機の改修も含まれたのであろう。

 平成3年に動物実験施設の玄関脇に実験動物慰霊碑が建立され、5月に綿貫学部長および小山動物実験施設長の手により除幕式が行われた。実験動物慰霊祭はそれまで西法寺において行われていたが、その後は宗教色を排し実験動物慰霊式として実験動物慰霊碑前で行われている。平成11年からは慰霊式の一環として講演会を開催している。これは学部内の研究者および学生に国内外の動物実験の状況を知っていただくことにより倫理的動物実験の推進を図ることを目的としたものである。さらに、当施設では科学的かつ倫理的に適正な動物実験の実施を可能とするために1997年からホームページを開設して利用者に情報を提供している。

利用者の研究内容と飼育動物に関して

 施設において年間に使用された動物の数を表に示した。1年間に使用される動物の数は昭和54年度には約6,000匹であったが、20年後の平成11年度には約12,000匹と倍増している。その原因はマウス、ラットの使用数が増えたためである。昭和54年にはイヌ、ネコを用いた生理実験が多く行われていたが、それらのイヌ、ネコは自治体由来の抑留動物であり、年間に使用される動物の13%がそれらの動物でしめられていた。しかし、わが国においても平成元年前後から動物愛護運動が盛んとなり、自治体由来のイヌ、ネコの使用が困難となってきた。その結果、平成11年度のイヌ、ネコの使用数は全体の1%以下となっている。それに代ってマウスやラットの使用数が増加し、平成11年度には使用動物の96%がマウスとラットでしめられている。最近ではヒトの糖尿病や高血圧,脳卒中などの成人病のモデルとして開発された各種の疾患モデル動物や遺伝子操作が施された実験動物(トランスジェニックマウス)が多くの研究に利用されている。また遺伝子治療を目的とした動物実験も増えており、周辺科学技術の進歩にともない「研究の多様化」が進んでいる。

使用動物数の変遷
 昭和54年度
(1979年度)
平成元年度
(1989年度)
平成11年度
(1999年度)
マウス2,464 (41%)2,635 (30%)5,110 (44%)
ラット1,935 (32%)3,937 (45%)5,877 (51%)
ハムスター70 (1%)665 (8%)0 (0%)
モルモット118(2%)281 (3%)91 (<1%)
ウサギ647 (11%)773 (9%)361 (3%)
ニワトリ0(0%)0 (0%)9 (<1%)
ネコ111 (2%)29 (<1%)1(<1%)
イヌ672 (11%)394 (5%)25(<1%)
ブタ0 (0%)0 (0%)30 (<1%)
ヒツジ0 (0%)10 (<1%)2 (<1%)
合 計6,017(100%)8,724 (100%)11,506 (100%)


2.施設の研究内容
 省令施設となった昭和56年から当施設には専任教官1名が配置されたが、その前後から実験動物の感染症に関する研究が行われていた。主な研究はカリシウイルスおよびロタウイルスに関してであり、幾つかの論文が報告されている。松田助手は「ネコカリシウイルス症の病原に関する研究」において昭和61年に本学部から医学博士号を授与された。現在は「実験動物としての大型ウサギ」の研究を中心に行っている。その概略は以下の通りである。

 秋田県仙北地方では明治のはじめから100年にわたりウサギの大型改良化が進められており、いまでも食肉用としての大型ウサギを飼育している農家が多い。ところで、前段で述べたように動物愛護運動の興隆により、自治体由来動物の入手が全国的に困難となっており、秋田県でも研究施設へのイヌ、ネコの譲渡が数年前から凍結された。そのため、当学部ではそれらの動物を使用する実験に支障をきしており、とくに臓器移植、循環器等の研究において、体重が10Kg前後でイヌ、ネコに代る代替動物を早急に確保する必要が生じている。当施設では上述した大型ウサギである日本白色秋田改良ウサギ(体重が一般実験用ウサギの2〜3倍)に着目し、その実験動物化を試みており、今後は胚操作技術、遺伝子操作技術を応用した大型ウサギの開発に着手する予定である。

 また、松田助教授は実験動物の福祉に関する分野においても精力的に活動しており、以下に示すようにこれまで数回にわたり海外の研究機関を視察している。さらに平成10年からは国立大学動物実験施設協議会の動物実験福祉委員会委員長を委嘱され、国立大学における適正な動物実験の推進に貢献している。

平成2年1月29日
   〜2月13日
文部省科学研究費(国際学術研究)補助金により米国、カナダの動物実験施設および関連機関視察
平成3年11月4日
   〜11月22日
文部省科学研究費(国際学術研究)補助金により米国、カナダの動物実験施設および関連機関視察
平成6年8月16日
   〜9月24日
海外協力事業団(JICA)の依頼により北京の中国医学科学院にある実験動物技術者養成センターで実験動物の飼育管理方法を中国の実験動物技術者に指導
平成7年10月20日
〜平成8年3月2日
文部省補助金「海外研究開発動向調査」によりシカゴ大学およびトロント大学にて短期在外研究
平成11年8月28日
   〜9月4日
第3回世界代替法学会参加(ボローニア)


3.沿革および主なでき事
 動物実験施設の管理運営は世の中のでき事に大きく影響される。これまでの主なでき事をあげる。自然災害としては、昭和58年5月に日本海中部沖地震があった。お昼の弁当を食べようとしているときに震度5の揺れがグラッときた。揺れている間は身動きの取れない状態であった。震動が弱まると同時に飼育室を点検したところマウス用のラックが1台転倒し、床に落ちた8個のケージからマウスが逃げ出し飼育室をウロチョロしていた。また実験室でも麻酔用の酸素ボンベが転倒していた。被害はこの程度の軽度なものに思えたが、施設周囲の排水管設備が破壊され、築後1年目の新動物実験棟の壁にひび割れが生じていたことが翌日に判明した。

 平成3年9月には台風19号(通称ではリンゴ台風)にみまわれた。秋田気象台始まって以来という最大瞬間風速61.4mの風が明け方に吹き荒れた。屋根が飛ばされ、信号機が倒れ、送電線が切れるなど秋田市内は大混乱となった。2日以上停電が続いた地域も出たが、施設では自家発電のお陰もあり職員が心配した程には飼育動物が大きな影響を受けることはなかった。唯一、屋上犬舎のドアが開き、そこに収容されていたガチョウがイヌにかみ殺された以外は・・・。

 昨年の暮れから今年にかけてのY2K2,000年)問題は自然災害というよりはむしろ人災であろう。施設への送電、給水の停止などを想定して危機管理のスケジュールを立て、施設に泊まり込むなどの万全の体制で臨んだ。しかし、想定したようなことは何も起こらず事務部の方々と安堵の胸をなでおろした。

 実験用ラットからヒトへ感染する人畜共通感染症の腎症候性出血熱(HFRS)が昭和50年頃から主に医学系の動物実験施設で発生した。昭和56年に札幌医大動物実験施設の技官の方が亡くなられた。当施設では施設利用登録の際に利用者の血液を採取し、発症を確認するためのペア血清として保存したが、幸い感染者がでることはなかった。その後HFRSは平成5年に京都大学で再発生したが、当施設のラットで抗体陽性を認める個体は存在しなかった。

 社会的なでき事としては、平成元年に消費税が導入された。それにより委託飼育費の値上げを余儀なくされた。また、平成9年にダイオキシン問題が取りざたされ、施設の焼却炉が廃止された。その結果、動物の死体を外注処理することとなり、その料金を利用者に負担していただくこととなった。

 平成4年5月から週休2日制が実施された。土曜日曜の休日に出勤した職員は水曜日に代休をとることとして現在に至っている。

 以下は動物実験施設というよりは本学全体に係ることであるが、動物実験の適正な実施を促すために昭和62年5月に文部省国際学術局長通知として「大学等における動物実験について」が出された。それを受けて11月に医学部動物実験委員会が発足し、昭和6310月に「秋田大学医学部動物実験指針」が制定された。昨年の暮れに「動物の保護及び管理に関する法律」が改正され、法律名が「動物の愛護及び管理に関する法律」に変わったが、動物実験については「現行の総理府の基準に基づく自主管理を基本とすべき」とされ、従来通りとなっている。しかし、もし一般社会の共感を得られない不適切な動物実験が行われている場合には、動物実験に関しても厳しい法規制が加えられる可能性がある。また、来年の4月からは情報公開法が施行されるが、動物実験計画書も開示対象の文書となる。人類の健康と福祉に必要な動物実験の実施に支障をきたすことのないよう研究者のプライオリテイーを守りながら、適切な開示方法を検討する必要がある。そこで医学部のみならず秋田大学全体においても透明性を保った動物実験を進めるため、医学部動物実験指針を全学の動物実験指針に、また医学部動物実験委員会を全学の動物実験委員会に改め、来年4月からは医学部以外で行われる全ての動物実験についても計画書の審査が行われることとなった。

昭和45年4月医学部医学科設置(元県立病院裏のプレハブ動物舎)
昭和47年4月研究機器センター発足(本道地区のプレハブ仮設動物舎)
昭和50年頃医学系の動物実験施設に腎症候性出血熱(HFRS)発生
昭和52年4月動物実験棟第一期工事完了(900m2)、「動物センター」と改称
昭和55年5月研究機器センターより独立し、「動物実験施設」と改称
昭和56年4月省令施設に認可され、医学部附属動物実験施設として発足
奥原英二教授(生化学第一講座)施設長就任(〜昭和62年3月)
昭和57年3月第二期工事完了(総面積2,700m2
昭和58年5月日本海中部沖地震
昭和62年4月吉村堅太郎教授(寄生虫学講座)施設長就任(〜平成3年3月)
平成元年4月消費税導入による委託飼育費の値上
平成3年4月小山研二教授(外科学第一講座)施設長就任(〜平成7年3月)
平成3年5月実験動物慰霊碑除幕式
平成3年9月台風19号(いわゆるリンゴ台風)
平成4年5月週休2日制実施
平成5年3月空調機改修工事完了
平成7年4月増田弘毅教授(病理学第二講座)施設長就任(〜平成11年3月)
平成8年4月秋田県動物管理センターが研究施設へのイヌ、ネコの譲渡凍結
平成9年3月動物実験施設ホームページ開設
平成9年4月ダイオキシン問題により施設焼却炉廃止
平成11年4月河谷正仁教授(生理学第二講座)施設長就任(〜現在)
平成11年12月 Y2K(2,000年問題)


4.施設内の主要な人事
 昭和
52年に900m2の動物実験棟が完成し、名称を動物実験センターと改め、奥原英二教授がセンター長となられた。この年の4月に松田幸久獣医師が教務技官として採用された。

 昭和56年4月に省令施設に認可され、奥原英二教授が初代の施設長となられた。その後、吉村堅太郎教授、小山研二教授、増田弘毅教授を経て現在の河谷正仁教授が5代目の施設長である。松田幸久技官は昭和56年に助手となり、昭和62年に講師、平成2年に助教授となり現在に至っている。

 昭和48年に小玉敏春技官と九島秀美技官が採用された。平成7年に石郷岡清基技官が寄生虫学講座より動物実験施設に配置換えとなり、現在の技官は3名である。

 昭和48年から27年の間に下記に示す20名もの多くの方にパート職員として施設のために働いていただいた。現在のパート職員は岡部美紀子事務補佐員、佐藤政義飼育補佐員、能登谷スミ子飼育補佐員、助川康子飼育補佐員および鈴木美帆子飼育補佐員の5名である。開設当初は職員の全てが男性であったが、今は半数が女性である。先頃幕を閉じたシドニーオリンピックではわが国の女性陣が華々しく活躍し注目を浴びたが、本施設にも女性優位の時代が近づいているようだ。既に先進諸外国の施設にみうけられるように・・・。

パート職員

昭和48年4月工藤武三採用(〜昭和55年9月)
昭和53年4月大井七郎採用(〜昭和57年3月)
昭和54年4月武藤精一採用(〜昭和58年3月)
昭和55年4月岡部美紀子採用(〜現在)
昭和55年9月高橋甚三郎採用(〜昭和58年3月)
昭和56年4月佐々木陽三採用(〜昭和61年3月)
昭和56年12月川村豊吉採用(〜昭和62年3月)
昭和57年4月佐藤政義採用(〜現在)
昭和58年4月佐藤繁千代採用(〜昭和63年7月)
昭和58年4月今野政義採用(〜平成元年3月)
昭和58年4月菅原 勇採用(〜平成元年11月)
昭和61年4月佐藤 武採用(〜昭和62年10月)
昭和62年4月松村 政採用(〜平成7年3月)
昭和62年10月利部 敏採用(〜平成7年1月)
昭和63年8月能登谷スミ子採用(〜現在)
平成元年4月桜田雄司採用(〜平成8年3月)
平成元年10月追留吉雄採用(〜平成12年3月)
平成3年4月助川康子採用(〜現在)
平成7年4月池田鶴美採用(〜平成8年3月)
平成8年4月鈴木美帆子採用(〜現在)

5.終わりに
 社会情勢の変化と周辺科学技術の進歩にともない、それらの変化および進歩を取り入れた新たな設備・機能が動物実験施設にも求められている。このことは先頃行われた外部評価においても指摘されたところである。これまでの機能をさらに充実し,また新たな科学技術ならびに実験動物の福祉に対応した施設を実現することが二十一世紀における秋田大学医学部の発展と社会への貢献につながるものと考える。

文献および参考資料
1)秋田大学医学部附属動物実験施設ーその誕生と十年の歩みー(昭和62年3月)
2)施設ホームページ URLhttp://www.med.akita-u.ac.jp/%7edoubutu/Default.html