くさい仲

動物実験施設 松田幸久

 臭いに関する情報が近ごろ身の回りに溢れているが、動物実験施設は臭いであまり良い印象は持たれていないようである。施設を初めて訪れる人は大抵その臭気に眉をひそめ、鼻を覆ってしまう。しかし、慣れとは恐ろしいもので、施設で毎日仕事をしているとその臭いが気にならなくなる。あるいは臭いの種類によっては気づかないことさえあるようだ。

 人間の嗅覚は直立歩行と体毛の消失により味覚や視覚に比べ退化していったとされるが、われわれ施設職員は動物の発するある種の臭いに対し嗅覚がさらに退化しているのであろうか。日頃から臭いに対して引け目を感じているが、そんなところに目をつけられたのかオゾンによる消臭、殺菌装置の売り込みにきた業者がいる。「法医学の解剖室へその装置をデモで置いたが、劇的な効果のために吉岡教授が手放したがらない」とか、「室内の落下菌を殺菌する効果が優れており、すでに病院の薬剤調合室に納入した」などの売り込み戦術を展開した。脱臭装置についてはこれまて数多くトライしてみたが、望ましい結果は得られていない。今回の製品は話ではすぐれ物のようであるが、オゾンの動物に対する安全性の面で二の足を踏む。

 イヌやネコの糞尿の臭いを消すために植物性酵素(クロロフィル?)を添加した飼料というものがペットショップで売られている。そもそもは寝たきりの病人が発する臭いを消すために開発されたものらしいが、最近では体外へ放出されるオナラや大便の臭いも消えるということでイヌ、ネコだけではなく若い女性の間で秘かに売り上げを延ばしているとか。安全性および実験への影響のないことが確認されたなら、これも動物実験施設で使用してみたい製品ではある。しかし、安全性は別として動物から臭いを無くした場合、動物にとってどのようなことが起こるのであろうか。人間にとっては快適でも、動物にとっては案外迷惑なことではないだろうか。

 マウスではヒトの指紋と同じように個体によって臭いが異なり、同じような臭いを持つ系統よりも異なった臭いを持つ系統との交配を好むという。これは先日、福島県立医科大学で開催された東北動物実験研究会に出席した折りに知ったことである。ペンシルバニア大学モネル化学感覚研究所教授の山崎邦郎理学博士によると「個体固有の臭いのもとはいまだ不明であるが、主要組織適合性複合体(MHC)と関係がある」とか。それぞれの個体で臭いが異なり、そして違う臭いを好むということはもしかするとマウスが進化の過程で得た近交退化を防ぐための方策なのかもしれない。つまり異なったMHCを選択するためのマーカーとして臭いを利用しているとも考えられる。人間でも個体によって臭いが異なることは、イヌの嗅覚を用いた犯人捜査で既に実証済みである。「臓器移植の際、提供者の臭いをイヌに嗅がせてそのHLAの適合性を判断する」などという笑い話もその辺から生じるのかもしれない。もし、実験動物のマウスに臭いが無くなったなら、繁殖率の低下や何等かの行動異常が生じることも考えられる。

 最近のマスコミではヒトのフェロモンが化学的に合性されたことを取り上げているが、それによるとヒトを好きになるのに臭いが関係しており、その臭いがフェロモンであるとか。くさい仲とはよくぞ言ったものである。植物性酵素の臭い消しを飲むことによりトイレでの臭いは気にしなくてもよくなったが、異性に好意をいだかれなくなったとしたら若い人(?)にとっては一大事ではないだろうか。ともあれ動物実験施設の臭いを除去するためにはやはり当分の間こまめなケージ交換と清掃しかないようである。

注)
本文は動物実験施設便り第19号(平成6年)の「動物から臭いが消えたなら」を修正したものです。

随筆
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