もう一つの輪廻

動物実験施設 松田幸久

 40も半ばを過ぎた頃から物忘れがひどくなった。大切だからとわざわざファイルした書類の所在が分からない。半日かけて探し回ることが頻発した。ついにはファイルしたことすら忘れてしまうようになった。どうやら脳の老化が進行しているらしい。こんなことでは仕事に支障を来すと思い、数年前からコンピュータを活用して脳の老化を補うことにした。このままボケるかと不安であったが、脳の老化は最近少し速度をゆるめたようである。しかし、代わりに目がやられた。液晶画面は目によくない。眼鏡を換えたり悪あがきしているが、そのうち体の至る所に不具合が生じ、いずれはこの世からおさらばするのであろう。

 話が暗くなった。話題を変えよう。先日工学資源学部のS先生と酒を飲む機会があった。桜の花がほころびる頃である。飲むほどに話は弾んだ。ビッグバンの話がでた。金融関係のビッグバンではない。S先生は素粒子物理学が専門である。
 宇宙は一点の光から発した。頃は今から150億年程前である。大爆発を起こした原因が何だったかは解らない。地球ができたのが今から約46億年前で、それまでに3回ぐらい惑星と衝突して現在の地球ができあがったという。宇宙ができたときには水素(H)とヘリウム(He)しかなかったが、衝突を繰り返すうちにHeより重い元素が星の内に作られていった。3回ぐらい衝突すれば現在地球上にある鉄などの重い原子ができあがるらしい。
 学生時代は物理が苦手であったが、一般教養部時代にこんな話を聞いていたら物理も好きになっていたかもしれない。

 話をまた少し変えて、私の得手の方に振ってみよう。先日初年次ゼミで1年次学生に動物実験を中心に生命倫理の話をした。キリスト教では人間が万物の支配者であり、動物をどのように扱ってもよいとしていた。中世ヨーロッパでは動物に魂があるなどというと魔女狩りの対象になったそうである。「動物は機械であり、人間の目的のために存在する」とデカルトとカントも説いている。功利主義思想のベンサムが初めて「動物にも感覚があり、苦痛を感じることができるので、道徳的に扱われる権利がある」と主張した。その影響なのか現在のヨーロッパでは極端な動物権活動家が跋扈している。それに対して日本では古来から木や石にも魂があると信じられていた。仏教の伝来以降はこれに輪廻思想が加わった。医学部では毎年秋に実験動物慰霊式を行っている。実験に使われた動物を供養しつつ、自分の魂が何かの縁で実験動物に蘇ったときには慈悲を持って扱って欲しい。そう願っているのは私だけであろうか。

 さて話を無理矢理こじつけよう。私の体の中にも鉄などの原子が存在する。これは地球が誕生したときから存在していた原子であろう。この同じ鉄の原子が2億年前に恐竜の一部として存在した可能性もある。それが食物連鎖により植物へ他の動物へそして私の体へ・・・。物質循環も分子から見るとまるで輪廻ではないか。

 そろそろ話を終わらせよう。50億年後には太陽の膨張(爆発)により地球は消滅する。太陽の爆発により地球は塵と化すが、引力により飛び散った塵が集まり、永い時間を経てまた星が誕生すると宇宙物理学者は言っていた。どうやら宇宙にも輪廻は成立しているようだ。弥勒菩薩は今から56億7千万年後にこの世に出現し、衆生を救うと仏教関係の本に書いてあるが、新たな星に降り立った弥勒菩薩はいったい誰を救うのであろうか。

平成14年6月

随筆
施設ホームページへ