500代目のホモサピエンス

動物実験施設 松田幸久

 “一京を越える祖先の盂蘭盆会”

 これは先年亡くなられた秋田大学医学部教授古谷野速夫先生の追悼集「遠山碧蒼々」を読んでいて目にとまった句である。一世代を30年として100代まで遡るといったい何人の祖先を供養することになるのだろうということで試算したところ、2100人となった。これを普通に表記すると126の後ろに0が28個続くことになり兆や京の数どころではなく、夫婦して驚いたとの注釈が付いていた。

 また、最近の新聞記事によるとハッブル望遠鏡での観測により宇宙の誕生はこれまでより50億年若返って、100億年前であることが証明された。いずれも現実を離れた悠久の世界の話である。

 地球が誕生してから45億年たつが、最初のホモサピエンスが出現し、その後殖え続けて現在50億を越える人間がこの地球上に犇めいている。いったい、これまでにどれ程の人間がこの地球上に生を受けたのであろう。その答えは統計学者に譲るとして、身近なところで私の遺伝子は何人の祖先を通過してきたのであろう。

 最初のホモサピエンスが1万5千年前に出現したと仮定し、さらにsibmating(兄妹交配)もback cross(戻し交配)も無いものと仮定して、古谷野方式で一世代を30年として単純計算すると、私は最初のホモサピエンスから数えて500代目程に当たる。その間に私の遺伝子DNAは約2500人の祖先の体を通過し、遥かな旅の末に現在の私の体にやってきたことになる。それこそ京を越し、天文学的数字では表すことができない仏教概念の“不可思議”あるいは“無量大数”に近い数字ではないだろうか。



 倉田百三の著書「出家とその弟子」だったかシェークスピアの「ハムレット」だったか出典は忘れたが、“何処よりきたりて、何処へとさる”という一節があったと思う。私の遺伝子DNAは私の死後も子から孫そして何処へかと向けて遥かな旅を続けるのであろう。遺伝子DNAにとって私は束の間の乗り物に過ぎないことを古谷野先生の句を契機として実感させられた。

 話は「遠山碧蒼々」にもどるが、その中には実験動物慰霊碑に関する句も掲載されていた。出勤途中に動物実験施設脇を通るたびに、施設のことを気にかけてくだされたのであろう。先生には動物実験施設設置準備委員長としての大任を果された後も、事ある毎に施設の運営に関してご相談にのっていただいた。既に亡くなられて久しくなりますが、改めて先生のご尽力に感謝し、ご冥福をお祈りいたします。


実験動物慰霊碑


注)
本文は動物実験施設便り第19号(平成6年)の「500代目のホモサピエンス」を修正したものです。

随筆
施設ホームページへ