犬は咬むもの?

動物実験施設 松田幸久

 昔から、犬は咬むもの、猫は引掻くものと相場が決められている。しかし、咬みつく犬を仔細に観察すると、咬む動機が違っているようである。一つは好戦的に人を襲う犬、次に自分の身を守るために咬みつく犬、もう一つは意地になって抵抗する犬である。新聞等に幼児が犬に襲われたというような記事が載るが、これは好戦的な犬の仕業であろう。発情期の雄に多くみられ、自分より弱い幼児や老人を襲うきらいがある。

 施設に搬入された犬のうちで、このような好戦的犬にお目にかかったことは一度もない。我々がよく遭遇するのは、身を守るために咬みつく犬である。保健所から搬入されて来た犬には、体表の汚れをとり、外部寄生虫を駆除する目的で洗浄、薬浴を行なう。そのような作業を通して、犬の性質を把握するのである。尻尾を振って愛嬌をふりまく犬は、まず安心してよい。しかし、脅えた目つきで、こちらの様子を窺っている犬には注意を要する。このような犬に対しては、多少暴れても素手で取扱ってやることが肝心である。われわれが危害を加える意思のないことを理解すると案外おとなしくなるものである。人の方が恐がり、仰々しい恰好でおさえつけようとすると、犬はなおさら脅え、スキあらば咬みつこうとする。この時、人がひるんでしまうと、牙をむけばいやなことはされないということを覚え込んでしまい、始末におえなくなる。「犬は咬むもの」という先人観があまり強すぎると、犬の方でも「人はなぐるもの」という先人観がよみがえるもののようだ。

 なかで一番にがてなのが、意地で抵抗する犬である。ご主入の寵愛を一身にあつめ、我まま放題に育った犬である。気位が高く、弱いくせに虚勢をはって吠え立てる、いうことをきかない。まるで過保護のバカ息子である。そこへいくと野良犬の方は、普段いじめられ、おいかけられて、世の中のせつなさを身をもって経験しているせいか、「この人には抵抗しない方がよい」と人を見て態度を変える処世の術を心得ているようだ。

 このように犬を眺めてくると、人間と同じような喜怒哀楽の感情をもっていることがわかり、親近感がわいてくる。医学への貢献とはいえ、檻にとじこめられ自由を奪われた犬は哀れである。実験により生命をまっとうするまでは、せめて快適な状態にしてやりたいと思うのは、飼育者だけでなく、実験者もまた同じであろう。

注)
これは動物実験施設便り第2号(昭和55年)に掲載した「犬は咬むもの?」を一部修正したものです。

随筆
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