病理学者からみたパラグアイ、ウルグアイ

所澤 剛

 私は1991年シャガス病等寄生虫プロジェクトのプロジェクトチームのリーダーとしてパラグアイの首都アスンシオンに足掛け1年6ヶ月間、 1994年エキノコックス症の個別専門家としてウルグアイの首都モンテビデオに1年間滞在し、それぞれ国立大学の研究所に勤務した。パラグアイ、ウルグアイに派遣される 前に両国の状況を知ろうとJICAの市谷の図書館でこの両国に派遣された方々の報告書、両国の任国情報あるいは旅行案内書を調べて見たがこの両国の地形、気候、社会、 生活環境等が現地住民に及ぼす影響の情報を殆ど得ることが出来なかった。病理学の領域には疾患と地域の関係を検討する地理病理学の分野がある。そこでこの南米大陸 の大国ブラジルとアルゼンチン間にある両国を地理病理学的に比較検討してみた。

1.地理学的相違

 両国は全長4800kmの南米第2の大河ラプラタ河に沿って存在している。ラプラタ河の本流はパラナ河と呼ばれブラジル高原に発し南方に下り、 パラグアイとブラジル並びにアルゼンチンの境を下り河口から約1000km上流付近で、ブラジル南西部のマットグロッソ高原を発しボリビアとの境界を南下しパラグアイ に入り、その中央部を南下してくるパラグアイ河を合流しアルゼンチン北部に入り下り、アンデス山脈西部から来る支流を合わせ、さらに最下流でウルグアイ河を受け ラプラタ河となって大西洋に注いでいる。河口から約1200km上流にあるパラグアイ首都アスンシオンまで2000トン級の船舶が遡上してくる。この河の下流域に ひろがるパラグアイ南部、アルゼンチン北部、ウルグアイは河口にある古くから発達した都市ブエノスアイレスを中心として農業と牧畜で発達してきた地域である。

 パラグアイは南緯17〜27度の南アメリカ大陸の内陸に位置し、夏にはアマゾン流域の暑い熱気が南下し気温が日中40℃近く、夜間でも38℃を示し、 しかもパラナ河、パラグアイ河に囲まれ蒸し暑く、日中は部屋の窓を閉め、カーテンを閉め外光をさえぎり、扇風機或いは冷房を使用し、あまり外出しない。 冬はアンデス越えの強い風(トルメンタ)と南方からの寒気で零℃近くに冷え込むこともあり余り快適といえる土地ではない。パラグアイ河上流地域に豪雨が降る とその影響がゆっくり下流領域に及び洪水になるがその速度は遅く日本の河川の洪水の様な死者が多数出る水害にはならない。北半分の地域では原虫感染による シャガス病、ライシュマニア症がみられる。一方ウルグアイは南緯30〜36度にあり、ラプラタ河の北岸に広がる丘陵がある程度の比較的平坦な地形を示す。 南赤道海流の影響で比較的温暖で夏には大西洋沿岸の保養地が繁盛する。しかし冬は南極からの寒気が南岸に吹き寄せ、アンデス颪も加わり、灰色の冬空と寒い日 が多く暖房が必要である。モンテビデオのラプラタ河沿いに立つ高層マンション街では暖房と自動車の排気ガスによるスモッグが強く喉をいためる人が多く見られた。

 パラグアイの北西部に国の総面積の約60%を占めるチャコ地方は海面より低い地域が多く、その殆どが農牧に適さず、人口は約10万人前後でこの 国のインデオの2/3にあたる約25,000人が住んでいる。この地域にはヨード不足による甲状腺腫が多く見られる。南東部は最高700m程度の丘陵が広がり、広大な森林 を開発して発展した牧場や綿花、大豆、米、農民の主食であるマンジョウカ芋の農地が広がっている。この地域には首都をはじめ多くの都市が散在し、国民の大部分が住 んでいる。人口増加率、年齢別人口比率の数値は東南アジア諸国のそれと類似しており人口の急速な増加とそれに伴う若年者の増加が著しいことがわかる。

 ウルグアイの地形は多少の高低はあるが森が少なく牧場が広範にひろがり、綿羊を主とした牧畜が盛んであり、綿羊に広がるエヒノコッカス症、 牛の口蹄疫の防疫防除に政府は力を注いでいるがブラジル、アルゼンチンとの間は陸路で結ばれ、動物の運搬は容易であり搬入される動物の監視にも苦労している。その人口 の約90%はラプラタ河川岸から大西洋岸に発展したモンテビデオをはじめ多くの都市に居住しており、農牧に従事している人口はすくない。人口の増加率は0.6%と ヨーロッパのそれと類似している。14歳以下の人口比率は南米諸国のなかで最も低いが65歳以上の人口比率はもっとも高くヨーロッパの先進国の傾向に類似している。 ウルグアイには現在原住民は居住していない。

 両国とも地下資源には恵まれていない。パラグアイは水量の多い河に恵まれ世界最大級の水力発電所があり、国民はその恩恵をうけているが ウルグアイの電力事情はあまり良好でない。

2.国民生活について

 パラグアイはラプラタ開発時代スペイン兵士と原住民のグアラニ族との婚姻が奨励され混血により新しくパラグアイ人が誕生し、 農民の大部分を占めている。公用語としてスペイン語とグアラニー語が用いられている。日常会話では両者が用いられている。ウルグアイでは独立以前の支配者交代 の戦争で原住民はすべて殺され、現在の国民の殆どがヨーロッパ系移民ないしその子孫である。パラグアイには昭和11年(1936)に日本人移民が始まり第二次世界大戦で 一時中断、昭和30年(1955)再開され、現在約一万人以上の日系移民の家族が住み、農業では主要農産物の大豆、綿花、米の生産に寄与し、またその子弟の中には政府高官、 大学教授、商社経営者、医師として活躍している者が増加している。ウルグアイに居住している日本人の多くはブラジル、パラグアイ移民から移動してきており、主として 首都モンテビデオ並びにその郊外で主に花の栽培を行っている。商業活動の盛んなこの国ではまだ重要な位置を占めていなかった。

 両国民とも一日あたりの摂取カロリー量は略同じ、牛肉等動物性蛋白摂取はウルグアイの方が多く、しかも魚も好まれている。澱粉、 脂肪の摂取量は略同じ程度であるがパラグアイではマンジョウカ芋が好まれ、ウルグアイではパンなどの粉食が多いが小麦は輸入されている。食生活では両者の間に大きな 差はない。両国民にグアラニ族に古くから伝わってきたマテ茶を飲む習慣がある。マテ茶には牧童(ガウチョ)がこれと焼肉のみでもVCの不足にならないと云われる程VCが 豊富に含まれている。パラグアイでは薬草が多く、その知識が豊富で現在でも夏冷やして飲むマテ茶(テレレ)に各種薬草を混じて飲む習慣がひろがっており、また薬草による 民間療法も発達しており、市場には各種薬草が販売されている。 ウルグアイではテレレを飲む習慣はないようである。

3.経済について

 両国は地下資源に欠け農畜産を中心に発展してきた国家であるパラグアイは1811年独立直後から強力な富国政策がとられ、南米で最初に 鉄道が走る裕福な国家になり、教育の自由と義務教育が認められた。しかし1864年に始まったウルグアイ、ブラジル、アルゼンチンの三国同盟軍との戦争に敗れ、 国土は半減、国民は1/5にまで、特に若年者の減少が著しくヨーロッパからの若い男性の移民が歓迎され、国力も回復してきた。しかし1932年から1935年に及ぶ ボリビアとの間のチャコ戦争で再び疲弊し、国力回復の為にまた多くの移民を受け入れた。日本からの移民もこの時期に始まった。人口増加と政治の安定化が進むにつれ 長く低迷していた農産、牧畜、林業の生産も徐々に回復し、大豆、綿花等の輸出も増加した。ことに大豆輸出に果たした日本人移民の努力は高く評価されている。 他方世界最大のイタイプ発電所があるにも関わらず製造、加工業等の産業の発達が遅れており、失業者が多く、人口増加に伴い就業率も低下している。国の財政も豊かでなく 公務員の給与は例えば大学病院の教授でも1000ドル、小学校長で200〜250ドル、若い職員はさらに低い。一般に官庁の勤務時間は午前中4〜5時間で職員は午後他の職場で 働き生活費をまかなっている。GNPは1570ドル低い。定職のない或いは給与の低い若者は裕福なアルゼンチンへの出稼ぎする者が多く、結果的に家庭崩壊例が増加し、 都会では乞食、ストリートチルドレン、盗難、窃盗、スリの被害が増加し、シンナー、麻薬愛好者も増えている。農地の80%を僅か5%の地主が支配しており、 大部分の農民の生活は苦しく、殊に小作農の生活水準は低く、住居は狭く、部屋は陽光も入らず暗く、シャガス病を媒介する昆虫サシカメやゴキブリの格好な隠れ場所 になっている。農村都市を問わず貧困家庭では上下水道の設備が不完全で乳幼児死亡率を高める原因になっている。アスンシオンなどでも下水に放流された糞尿汚水は 処理されず河に放流されている。国民一人当たりのGNPは1570ドルと低い。

 ウルグアイは1825年独立し東方共和国が成立し大統領が議会で選出された。独立後農牧産業とモンテビデオ港の貿易とそれに 伴う商業により発展した。殊に両世界大戦時には連合軍の食料基地化に伴い好景気が持続した。しかし加工製造業が発展しなかった為その後経済は低迷し、失業者の増加、 若者の国外流出、大都会への集中化が起こり、スリ、窃盗、盗難、強盗が増加し、スラム街も形成されている。 メルコスール(南米共同市場)成立後モンテビデオ港の貿易活性化 と経済活動が回復するとともに他国籍者の流入も増え、治安はさらに悪化し、街頭にも浮浪者が見られるようになった。商社、私立病院等の職員の給与は高くGNPは4650ドルと パラグアイの3倍と高いが国家予算の過半が社会保障費に消費されて公務員の給与はパラグアイのそれと略同じ水準と低い。また勤務時間も略4時間で職員は2箇所以上で働いている。

4.社会基盤、教育、社会保障、医療について

 パラグアイはGNPが国際基準に達してしてない為社会基盤の整備は日本をはじめ諸外国からの援助をえておこなわれている。しかしウルグアイは GNPが基準を超えているため自前で行わなければならないので苦労している。いずれの国も義務教育の制度は確立されているが公立小学校の設備は劣っている。 パラグアイでは壁掛けの世界地図すらないところがあり、また貧困のため子弟の不登校が見られる。かつては識字率が低いと云われていたパラグアイでも92%まで上昇しており、 ウルグアイでは98%に達している。いずれの国でも中産階級以上の子弟の教育は私立学校で行われている。ウルグアイでは制度上教育費は大学まで無料であった。両国とも 大学の施設の整備補修は殆ど行われてないし、新しい研究機器の購入等は海外との共同研究や研究助成金に頼っている。


アスンシオン大学保健学科研究所の日本政府の援助により新設された研究棟(白い建物)
 パラグアイでは公立病院の整備改善は遅れている。最大の公立病院の一つであるアスンシオン大学医学部付属病院でも各科の独立性が 強く手術室などの 中央化が進んでおらず病室も20人以上の大部屋がみられる。また特殊の治療例えば癌の放射線治療などを外部の放射線科の病院に委託している。人口1,000名当たりの医師数は 0.62名、ベット数は1.0と明らかに医師数もベット数も不足しているが唯一のアスンシオン大学医学部の学生は60名程度と少ない。

 ウルグアイ では医学部の各学年の学生数は約300名と人口300万の国としては著しく多い、しかし卒業試験が難しく卒業できる学生は少ない にもかかわらず医師数は増加している。公立病院では医師の停年の年齢が高いため席の空きが少なく、若い研修を終了した医師はそのポジシオン取得の試験に全力を投じている。 より上位のポジシオンを得るためにヨーロッパに留学する場合が多い。大学の付属病院は戦後の財政豊かな時代に建てられた20階建ての壮大な建物あるが設備の更新、 近代化は遅々として進まず約1/2/近くの部屋は荒廃したままである。他の公立病院も同じような状態である。
 社会保険制度もウルグアイでは1900年代前半の好景気時代に整備されたが経済の悪化と国民の老齢化が進むに 従いその経費は増大し、国の財政を圧迫しており、病院、老人施設の整備が著しく遅れている。この財政圧迫の解消目的の消費税率は食料品を除きかなり高くなっている。パラグアイ では社会保険制度はあるが殆ど機能していなかったがそれを充実する為1992年になって急に消費税制度が導入されたがまだ充分に整備されているとはいえない。しかしいずれの国でも 収入が一定基準以下の患者は公立病院で公費による受診できるが予算が少なく充分な治療が行われていない。両国とも設備の整った私立病院は保険会社と契約して医療保険の契約者や 私費の患者の治療を行い、これには大学病院の教授も参加し副収入を得ている。

 モンテビデオの高層マンシオンの住民のうち犬を飼育している住民は散歩に際して犬に糞をさせているがその始末をしない。そのため注意しないと糞を 踏んでしまうことが多い。多くの住民は困ったものだと云いながら行政も市民もなんら対策を行っていなかった。

ウルグアイ国立大学の壮大な付属病院とその横道を走る貧弱な馬車
5.まとめ

 以上ラプラタ河流域にあるパラグアイ、ウルグアイ両国はブエノスアイレスを中心に開発され、発達した国々であるが地理病理学的に検討してみると 類似しているが著しく異なった点も見られる国であることがある程度理解できた。ここに記した私の経験理解したことが今後この地域の医療の分野に派遣される方々の一助となれば 幸いである。(1998年記す)。

パラグアイとウルグアイの主な相違点

  パラグアイ ウルグアイ
地理的位置内陸 大西洋岸
首都の緯度南緯25度 南緯35度
気候亜熱帯的 温帯的
国土の広さ日本より10%広い 日本の約1/2
人口(1994)約480万 約320万
首都の人口約90万 約130万
人口密度(平方Km当たり) 12 18
都市人口率 %約50 約90
人口増加率 %2.7 0.6
年齢別人口構成(1993)% 
14歳以下
14・・・65歳
65歳以上

40.4
56.0
3.6

25.8
62.6
11.6
国民構成 スペイン系と原住民グアラ二混血、移民 移民のみ
日系住民 多い 少ない
公用語 スペイン語、グアラ二語 スペイン語
一人あたりのGNP 1570ドル 4650ドル
死亡率(人口10万当たり)
その内訳
悪性腫瘍
心疾患
脳血管疾患
その他
334.5

39.9
60.0
34.8
209.8
976.3

257.6
230.0
115.3
373.4
感染症死亡率(%) 8.6 1.6
乳児死亡率(乳児1000名あたり) 37.0 19.0
一日当たりの摂取カロリー 2566 2633
脂肪 104.9gr 101.1gr
動物性蛋白質 69.7gr 87.3gr

記載した数値は国連デモグラフィック イヤーブック、FAO "Quaterly Bulltein of Statistics1994等による。

JICA帰国専門家秋田連絡会会報ー12周年記念特別号ー(2004年)から