中米ホンジュラスヘの派遣を終えて:思いは千々に乱れて

中米ホンジュラスヘの派遣を終えて:思いは千々に乱れて

〜JICA派遣で農業技術協カ(その2)〜
石井 公人   


1.ホンジュラスで何を得たの?

 1) 自己責任とクレーム

 前に記したように、個人的には予想もしないようなことで悪戦苦闘しましたが、個人の責任で物事を処理していくということについて 教えられることが多々ありました。つまり、何か頼む、あるいは購入するときにはくどいほど確認する、金を払うのは物品あるいはサービスの中身をよくよく確認し てから行う、などです。

 東京などに行った際、またはテレビとかで、外国人が店先で箱を開けて中身をしげしげと見ている場面に出くわしたことはないでしょうか? ちゃんとした商品が梱包され付属品も間違いなく入っていることが当たり前の私たちには、この行為はちょっと奇異に見えますが、その当たり前のことが多くの外国では 普通ではないのです。商品自体には問題がないとしても、付属品が不足しているとか、操作マニュアルがないというようなことが起こってしまいます。ですから、お金を 支払う前に商品の中身をよく確認しないと、後日クレームをつけても後の祭りになってしまいます。

 そういう点では、あうんの呼吸やら以心伝心やらという言葉・感覚は、よく言われるように日本以外ではほとんど通じないのではないでしょうか。 また、クレームをつけるというと、日本では文句を言うとか苦情をまくしたてるというふうに解釈されがちですが、あちらでは、とにかく白分の気になったことやしてほしい ことはしつこいほど相手に通告するというやり方が普通です。一方、難しい交渉ごとや後々自分に責任が回ってきそうなときには、あらかじめ文書でクレームまたは申し開き をしておくということもやります。日本とはまた違った意味で、文書がものを言う世界です。何につけよくしゃべる人たちですが、逆から言うと、だれも他人の言葉なんか真 に受けていません。その辺の微妙な、言葉と書きものとの使い分けやニュアンスの違いをわかるようになるまでけっこう時間がかかりました。

 2) ものに頼らず生活を楽しむ

 小さい頃、木ぎれで作った即席のバットとゴムボールを使って、収穫後の田んぼで近所の子供たちと野球のまねごとをした記憶のある方が多いの ではないでしょうか?あるいは、古くなった布きれを使って母親にお手玉を作ってもらい、みんなで遊んだ方もいらっしゃるのではないでしょうか?この遊びの光景を今の日本 で目にすることは、至難の業なのではないでしょうか。もちろん、今も昔も子供は子供、場所や用具が変わっても元気に遊んでいる姿に変わりはありません。しかし、テレビゲーム や遊園地に象徴されるように、遊びが、高価な器具または入場料を払いながら、他人がこしらえたゲームを個々バラバラに楽しむ方向にあることは否めない事実です。誤解を恐れずに 言いますと、お金があればあるほど、作られたゲームをより多い回数でより多様に楽しむことができるようになったわけです。

 翻って、ホンジュラスでは、そのような遊びの機会や多様さは、いまだ一般的ではないと言えます。電気製品を売っている店では日本製のファミコンも 買えますし、数時間飛行機に乗ってアメリカのフロリダに行けば、かの有名な大遊園地で楽しむことも可能ではありますが・・・。でも、大多数のホンジュラス人には、そのような 余力が全くないのが実状です。そこで、何をして遊ぶかというと、そこは中南米、やはりサッカーが遊びの王様ということになります。上半身裸になって、でこぼこだらけのグランド ですり切れたボールを一生懸命追いかけて興じています。何十年か前の、日本の草野球の光景を思い起こすのは私だけでしょうか。

 サッカーに限らず、私生活の面でも彼らは、ものがないなりに生活を楽しむすべに長けています。古タイヤや自転車の車輪を倒れないように回しながら かけっこしている子供たち、日がな一日玄関前のスペースや中庭にいすを持ち出してとりとめもない話しに興じている大人たち、砂利道を自転車やピックアップの荷台に揺られながら 川の淵まで行き、Tシャツのまま泳ぎ戯れている恋人たち、といった具合に、めいめいが自分たちなりに生活を最大限楽しもうという気持ちが強く感じられます。そういう遊びや語らいの 場を通して、唯一信頼の置ける存在としての家族をとても大切にしている様子が伝わってくるのです。普段、家族とは空気のようなもので、特別気を使って家族サービスをすることに 少なからず抵抗を感じている私としては、その自然体がちょっとうやましいやら、実際にそうすることを想像しただけで気恥ずかしくなるやらで、なかなか考えさせられるものがありました。

2ホンジュラスでの仕事

 1) 農業はどうなっているの?

 ホンジュラスの農業が、国の中でどの程度の位置や役割を占めているか、以下に簡単に見てみましょう。
 農業がホンジュラスの基幹産業であり、外貨(ドル)獲得の最右翼であることがおわかりになると思います。 特に、カリブ海側の北部海岸地帯では、アメリカ資本のバナナやみかんのプランテーションが見渡す限り広がっており、そこでは最新の機器を使い気象データを分析し、 各々の栽培技術者にノルマを与え競わせつつ進んだほ場管理と水管理を行いながら、衛星を利用して他国の収穫状況を監視し出荷管理を行っているようです。この一方、 零細農家は土地なし農民と呼ばれ、大地主が雇った栽培技術者らの下で容赦ない太陽光の刺す中、単純労働に明け暮れています。

 2) 農業技術協力って何?

 農家が、営農を通じて収益を増やし生活レベルを高めるためには、農作物の生産性と品質を向上させることが近道であるのは論を待たないと思います。 生産性の向上について話を進めますと、いかに収量を高め生産費を抑えるかがポイントになります。収量をアップするにはいろいろな方法がありますが、そのうち重要な前提条件の 一つが、作物に必要な量の水を必要とするときに供給できる基盤を確保することがあると思います。また、そのかんがい水を使ってどのように作付け・営農を行うのかもとても重要です。 大規模な農家(企業家)では、資金力にものを言わせて灌概施設や営農資機材を整備し技術者を雇用すれば、これらの条件はたやすく達成できますが、ホンジュラス国民層の多くを占めて いる零細農家の場合は、どうでしょうか?必要な施設や資機材を貸与したと仮定しても、それをいつどのように使い管理したら生産アップに結びつくのか、全く素養のない人たち(字の読 み書きができない人も多い)に理解できるものでしょうか?つまり、小規模農家が基本的な栽培技術や施設管理技術を学び自分たちのものにしてこそ、与えられたモノや技術的なサービスを 活かすことができるのです。

 この場合、外国人である私たちが、いちいち農家一人一人を渡り歩いて技術提供していたのでは、効率が悪くスケールメリットが得られないと言う議論が出 てきます。もう一つ、直接のターゲットである小規模農家のこのような状態を改善するには、まず、本来彼らを導くべき関係技術者のレベルをアップしなければならないという考えもあります。 そういうわけで、経済規模の大きい先進国の技術者が、相手国の要請に基づきその国に出向き、相手側政府の技術者の技術レベルが向上されるよう、いっしょに活動しましょうという「人的技術協力」 の考え方が出てきます。

 3 )実際にはどうやって仕事を進めたの?

 皆さん、「ODA」という言葉を耳にしたことがないでしょうか?日本語では「政府開発援助」になりますが、現在日本からは諸外国や国際機関に約1兆円の ODA資金が毎年拠出されているはずです。この開発援助の中には、さまざまな形態がありますが、たとえぱ、現金や物品(米も)を途上国にただで融通していろんな施設の整備を行ったり、 お金を貸して大規模施設(インフラ:港湾や幹線道路、ダム等)を建設したりしています。さらに、人的協力としては、海外青年協力隊がその一環です。ホンジュラスでは「日本人ボランテイア」 と通称で呼ばれていましたが、教育関係で現地の先生たちに研修を行っていた人たちがたくさんいました。私が属していた技術協力の形態は、ODAのうち「プロジェクト方式技術協力」という 名前で分類されているもので、直接の管轄としては国際協力事業団(J1CA)が日本側の協力窓口でした。これは、日本人の派遣(「J1CA専門家」と呼ばれています。)と相手国技術者の日本研修、 それから必要な機材の供与から成り立っています。

 日本人の派遣は、JICAが独自ルートあるいは関係省庁の推薦により人選し任国へ派遣します。相手国にはJ1CA事務所のある場合が多く、 そこでプロジェクトの予算管理や会計処理、J1CA専門家の管理(身分証明書や自動車免許等各種手続きの代行)などを行います。また、私のいたプロジェクトでは、チームリーダー、 業務調整員、かんがい排水分野、栽培分野、水利構造物分野(私の担当)、計5人の日本人がいました。

 相手国技術者の日本研修については、うちのプロジェクトからは毎年4人くらいずつ、各人約2ヶ月の滞在で、日本の農業関係機関にて研修を受けていました。これは、進んだ技術の習得により帰国後のプロジェクト活動に資することはもとより、 日本の仕事の進め方や価値観・文化をじかに体験し日本理解を深めてもらう意味合いもあるようです。

 最後に、機材の供与ですが、技術協力を進める上では必要なものがたくさんありますが、途上国では往々にして準備できなかったり購入までに多くの 時聞がかかり必要な時期に聞に合わないことが多々あります。そのため、プロジェクトの活動目標を達成するのに必要な機材を日本人の派遣に合わせ供与しようというのが趣旨です。 私のかかわったプロジェクトでは、乗用車やコンピューター、農業用機械器具、実験機器、気象観測機器などが供与されました。

3 プロジェクトに関係した人たち

 プロジェクトの名前は、「かんがい排水技術開発計画」と言いましたが、この中で「計画」という日本語が「プロジェクト」という横文字に対応しています。

 向こう側の担当窓口は、農業牧畜省かんがい排水総局というところでした。名前はいかつい感じがしますが、実際のところ新設の局で技術者の数は、 プロジェクトの関係者を除き10人に満たなかったと思います。プロジェクトの関係技術者を除いた理由は、彼らは単年度ごとに雇用契約を更新しなければならず、いわゆる臨時雇用の 感が強く、日本に比べ雇用条件が非常に不安定な面があるためです。

 日本側は、前に触れたように、管理者であるチームリーダーと総務的な仕事が主で現地の言葉に堪能な業務調整員、それに決められた担当分野と活動目標が 設定されているJ1CA専門家3人、合計5人が派遣されました。ホンジュラス側は、向こう側の管理者であるプロジェクト・マネージャー、会計処理や物品管理を担当する総務担当が3人、 全技術分野を統括する技術調整員が1人、基本的に各技術分野に各2名ずつの技術者(栽培技術者4人、土木技術者2人)、秘書が3人、運転手が4人、それに営農普及員が1名、ほ場作業員が 10人くらいといった陣容です。しかし、ホンジュラス側の体制は、固定的なものではなく、予算上の制約や日本側の人員配置に対する要望により、プロジェクトを実施した5年間でかなり 変動しました。

JICA帰国専門家秋田連絡会会報ー12周年記念特別号ー(2004年)から