ウルグアイの生活を振り返って

野口 常介

 帰国してもう10年。薄れがちな記億をたどりながら綴ってみた。プロジェクト活動で得た多くの体験は二度と得ることの出来ないものばかり、今でも生活の中で役立っており、今後も失うことのないよう心掛けたいと思っている。関係したウルグアイの多くの人々に改めて感謝する気持ちで筆を進めました。

1.タクワレンボの印象

 ご存じのようにウルグアイは日本と12時間の差。季飾は夏冬が反対。太陽は北に輝き、北風が暖かく南風が寒い。交通ルールは日本と反対などなど…、着任当初は時差ぼけも手伝い、左右が反対になったようで、戸惑うことが多かった。

 プロジェクトの配属機関は同国の農牧研究所で、同研究所の林業部がタクワレンボにあって全国を掌握していた。従って、プロジェクトサイトはタクワレンボに置かれ、任期の多くをタクワレンボで過ごした。

 タクワレンボは首都から北へ400km離れたところにあり、国を縦断する国道5号線と横断する28号線が交差する交通の要所でもあります。同市の人口は43千。町の中心部は碁盤の目の街並みで、街路樹や緑地が多く、四季を通じて花が絶えない美しく気持ちの良い町でした。市内には先住民の遺跡博物館が、北はずれには動物園や公園が、また郊外には別荘を伴う保養地がある。北はずれの公園は市民の憩いの場であり、サッカーや焼き肉パーテー等で年中人が絶えません。この公園では毎年3月中旬に「ガウチョ(牧童)のお祭り」が催される。初日には着飾った大勢のガウチャ(女性)が市中を馬で行進して、祭りの開催を告げる。多くのガウチョが地方から集まり、出店が張られ、歌や踊りなどの演芸、昔の牧童生活用品の展示や即売、馬術競技などが行われる。4日間のお祭り期間中、夜遅くまで賑わいます。

 派遣前の情報では「ウルグアイの気侯は温帯性で、夏は凌ぎやすく健康的、冬は比較的温暖である」とのこと。この情報は首都モンテビデオ中心の情報であったようです。

 タクワレンボでは、夏は外気温38℃以上になり、40℃を超えることもしばしば、家の中は朝でも28℃を下がりません。冬は−5℃前後になり、畑地や植林地では霜害防止が問題となっておりました。任期中に一度雪が降ったことがあります。10数年来の雪だ!と大変な騒ぎでした。月々の温度変化以上に一日の温度格差が大きく、油断すると一年中風邪を引くはめになります。季節の変わり目には長雨が続くことがあり、家の中では湿気がこもり、川が氾濫し、低地では洪水が発生します。低い土地では水が引くまで数日を要してました。また強い南風を伴う暴風雨もあり、街路樹が倒れ、怪我人がでたり、自動車がひっくり返るなど大きな被害も発生します。

2.ぞんざいなお金の扱い

 ウルグアイではインフレ抑制が国の大きな政策の一つでした。2年半の任期中、ドルに対するペソの価値が漸次下落し、帰国時には物価が赴任時の約2倍近くになっていた。

 R/D協議の折りに使った1千ペソ紙幣は、3ヶ月後にはデノミが行われ1ペソとなっていた。首都モンテビデオでは新札との交換が早いが、地方ではなかなか行き渡らないようでした。

 タクワレンボでは、もみくちゃになった汚い紙幣や今にも破れそうなボロボロの紙幣なども、商店や露天市場で立派に通用していた。釣り銭のない時には「お釣りがないよ」とカラメロ(飴玉)が釣り銭代わりになっている。モンテビデオでこれらの紙幣を使うと、「このお金は汚い。駄日だよ」「このお金はもう使えないよ。」いぶかしげな顔をされて、拒否される。

 また、この国の人お金の扱いが乱暴だ。モンテビデオで集会の負担金を出席者から集めた際に、集められた紙幣がホッチキスでガチャンと綴じられた。私どもの風習からはお札をホヅチキスで綴じる感覚は理解もできず、この「しぐさ」には大変に驚いた。 この国ではお金ばかりでなく、物の扱い方もぞんざいなのだろうか?と思った。

3. 畜産の国ウルグアイ

 「牛が人口の4倍、羊が6倍いるよ!日本にはどれほどの牛がいるのかね?」「ん?…」

 タクワレンボで生活していて、最も多く尋ねられた質問でした。日本の約1/2の広さに330万人の人口。都市では人口密度が高く、地方ではガラガラ。この国の最高峰は僅か514mの山。緩やかに傾斜する平坦地〜台地状の地形が広がり、耕作可能面積は国土の90%にも及ぶと言う。国の経済を支える産業が牧畜業であるので、外人を見ればごく自然に出てくる質問であったのだろう。

 首都のモンテビデオに接する各州では、大消費地を抱えて畑作や果樹栽培など集約な農業経営がなされており、伝統的な放牧の姿は見られない。国を縦断する1桁ナンバーの国道を北へ長距離路線バスで走ると、家畜避難林や防風林を伴った牧場が何処までも続くようになる。地方の都市周辺は別にして、国道の南側には道幅とほぼ同じ広さの付帯地が並行して続くのである。この付帯地は牛を放牧地から別の放牧地へ移動させるための専用道路であると言う。国道を走る長距離バスから、ガウチョが馬に跨って巧みに数百頭もの牛を移動させている光景に出くわすことが時々あった。牛が国道を横断する際は、歩みの遅い牛の移動が優先され、バスはしばらく立ち往生、乗客もおとなしく待つしかありませんでした。

 牧場は、春は若草が萌えだし一面濃緑色の豊かな姿に映り、夏には冬季の飼料とする干し草作りの作業風景が描き出され、秋は家畜の食べ残した草花が美しい花を咲かせ、冬は牧場一帯が色あせるなど、四季折々の姿を見せてくれる。派遣された時期が晩秋であったので、牧場が荒涼たる原野に映り、あの果てにはどんな土地があるのだろうか?と思った。

 1千ヘクタールの土地があれば牧場経営が出来るよ。」「でも最低だな!2千ヘクタールないと安心できないね。」土地の人はこんな話をし、平均して2千〜3千ヘクタールの牧場が多いと言った。

 牧場の中でも、牧草の生育が悪い箇所には木を植えます。私どものプロジェクトでも、このような場所を借りて仕事をすることが屡々ありました。牧場には牧童が居住し、家畜の世話以外に、馬に跨り数頭の犬を従えて牧場内の見回りをしています。牧場内に作った試験地へ出かけて調査をしている時には、決まって、まず犬が飛んで来て、その後から馬に乗った牧童が確認に来る。契約を交わして造成した試験地であろうとも、事前連絡なしには牧場内に立ち入りできないのだ。

 タクワレンボから150km離れたある大きな牧場へ、試験地の設定に出かけた。一望10余?、多くの牧童を抱えたその牧場主曰く「自分は6千ヘクタールを持っている、隣の牧場主が居なくなったので、その土地約3千ヘクタールを借りて経営している。牛は…頭、羊は…。」「試験地程度の面積なら侯補地に限らず、何処でも…。私も木を植えることが好きだから…。」広いの広いの、僅か数ヘクタールの試験地を作る侯補地選びに、牧場内をジープで走り廻った。首都モンテビデオに居を構え、牧場へは自家用飛行機でやってくるそうだ。

4. ウルグアイの森林

 牧場では時々来襲する暴風雨から家畜を守るため、放牧地内の所々に家畜避難林や防風林を設定している。これらの林は同国農牧省の統計では林地に区分される。同国の森林面積は国土の5%、秋田県の森林面積(国有林・民有林の合計838千ヘクタール)とほぼ同じ860千ヘクタールである。国が管理する森林は海岸砂防林と丘陵地の環境保全林が主で、森林の大部分は民有林である。

 当時ウルグアイでは、牧畜業に支えられた国の経済をより磐石にするため、色々な施策を掲げておりました。林業関係では、森林の造成が最も重要な旋策で、土地生産性の低い地域を植林地に転換し、大規模な造林を進め、木材の輸出増大を図っておつました。

 ブラジルから国境を越えてウルグアイに伸びる2つの丘陵地帯や国の西側ウルグアイ川沿岸地帯には、国の土地生産力調査の結果に基づいた植林奨励地が多くありました。これらの地域では林業関係の企業が資金を投入して、年間1千ヘクタールもの規模で植林を進めていた(因みに秋田県の年間造林面積は約1,500ヘクタール)。林業関係の企業の中には、外資系の企業や退職者が共同で経営する団体などが含まれており、30年前後で収穫できる成長の早いユーカリの中からパルプ材や建築材に適する樹種を選び、1団地数百ヘクタールの規模で植林し、生産された木材を輸出に向け収益を挙げておりました。

 一方、天然林は森林面積の約2/3で、河川敷や放牧に適さない牧場内の丘陵地に分布しております。ここには貴重な樹種も生育しており、その保全にも力が注がれていました。

 1千ヘクタールの土地を所有し、小規模な牧場も経営している農牧研究所の職員から「日曜日は暇かい?所有地に滝があるから見に行こう」誘われて河畔林の中を歩いた。川の周囲には高さ8mほどの色々な木が生えている天然林で、両岸は所々に急な斜面があり、そこには牛が川を横切った道ができていた。林内には人が歩けるような道がなく、虫が飛び交う中を、川伝いに丈の低い灌木が足にまつわるなどして滝に向かった。滝は高さ5mほど、水量はほどほど、季節によっては?と心配される量でした。帰途、幹に付着し見事な花を咲かせているランを2株発見し、その美しさに歩行の苦しさも何処へやら、滝以上にこちらのランに魅了さてしまった。終わって、青空のもと広い放牧地の中で「ここを目玉に観光施設を作りたい」持ち主の将来の夢を聞きながらご馳走になったアサードは、この上もなく美味しかった。

5. 国境の町

 ウルグアイの北部にはブラジルと国境を接している市や町が数カ所ある。タクワレンボから北へ110km行くと、ブラジルとの国境の町リヴェラがある。ここでは国境を挟んで双方に町が形成されており、ウルグアイ側がリヴェラ、ブラジル側がリベラメントと呼ばれている。町の中心に、中央に国境線が走る公園があって、この周辺は免税店を含む多くの商店やホテルが建ち並び、商活動の盛んな賑やかな地帯となっている。

 双方の住民は全く自由に往来でき、私もブラジル側の大きなスーパーへ食糧等の調達によく出かけました。ウルグアイでは求めることの出来ないインスタントラーメンがあったり、野菜類も新鮮で種類が多く並べられている。キャッサバもここで買ったものが美味しかった。買い物ばかりでなく、観劇もホテルヘの宿泊も総て自由で、支払いは両国の紙片のほかドル紙幣も使用できた。ただブラジル側への電話は、例え目の先にあっても、国際電話扱いとなった。

 リヴェラメントの街並み散策も全く自由で、何の不安感もなく楽しむことができた。国境の町のこのような安堵感はリヴェラだけでなく大西洋沿岸にある国境の町チュウイでも同様でした。街並みこそ小さいが、町の中央道路に国境が走り、リヴェラと同様に多くの商店が並んでいた。チュウイには米(ジヤポニカ米)をはじめ日本の食材や調味料などを並べた日系人経営の店があり、2度ほど訪れました。

 他国と海で隔てられた島国育ちの我々には、陸続きの国境の町には検問という厳めしさと他国という不安を抱くが、ここでは全く心配ご無用、国境の町のこのような雰囲気がとても羨ましく感じられました。

 世界のあちらこちらでいざこざが絶えないが、国境の町で体験したこの雰囲気が少しでも多くの地域に広まれば、世の中、平和になるのではと思われて仕方がありません。

JICA帰国専門家秋田連絡会会報ー12周年記念特別号ー(2004年)から