うるわしのウルグアイ

木村 久和
半球を越えて

 地球を半周して米南ウルグアイ国モンテビデオ国際空港に着き、公用パスポートを提示すると税関はフリーパスで快く通してくれた。 現地大使館員の出迎えを受け、車窓から見る海のように大きいラプラタ川、ユーカリと黒松林の続く美しい街並みに感動しつつ「うるわしのウルグアイ」と思わず言った。
 私はJICAシニア海外ボランティアとして平成10年10月15日枝豆栽培指導のため、ウルグアイに派遣された。その時のことが昨日のように想い 出されるOTCA時代インド国オリッサ州立農業試験場に日本稲作技術指導のため3年間妻とふたりの子どもと共にした在印生活がある。
 あのときの感動をもう一度味わいたいと考えた私は、六十歳を過ぎてからスペイン語にチャレンジ、ついにその夢が実現した。

ウルグアイ農業について

 畜産王国で、主な輸出品としては牛肉、羊毛、木材があり、これらが国の経済を支えている。国土は日本の約半分だが山は無く、 全体がなだらかな丘陵地帯で「大草原の地平線から太陽が昇り、夕方にはまた遠い地平線に陽が沈む」のどかなパンパの国である。
  国中が牧場で耕せば野菜が育ち、水を引けば稲作栽培もできる自然条件に恵まれている。 私の任地ベジャウニオン市は首都であるモンテビデオから北へ620キロ地点の地方都市で、隣国ブラジル国境まで15キロの国道3号線沿いに 発達した農業地帯である。
  主にサトウキビ、稲作のほか、ブロッコリー、カリフラワー、トマト、キウリ、玉ネギ、ホーレン草など野菜栽培が盛んで、正に国の食糧基地 と言ってよい。

 勤務先はウルグアイ北部農業協同組合の事務所に個室を与えられ、助手のダニエルと枝豆栽培を主に農家巡回指導する。
 助手ダニエルは国立大学出の優秀な営農指導課長で人柄も良く農家巡回指導は彼の車(日産ブルーバード)で行動を共にする。
 枝豆栽培農家のブランドン青年は地域リーダーで新しい技術を取り入れ、人より一歩先を目指す意欲は素晴らしい。驚いたことにユーカリ の木に椎茸植菌していた。我が雄物川町も特産として椎茸栽培の盛んな町村、喜んで手伝うことにする。それが今では農協事業として菌の培養室や植菌施設を作り、 生産が拡大していると先日助手のダニエルからの国際電話で聞いて、枝豆栽培だけでなく現地農家の要望に応じたのが良かったと思っている。
 毎月日本大使館で開催される専門家会議に出席すると、秋田県経済連から新米「あきたこまち」が120キロ、私宛に送られてきた。
 それに秋田小町娘ポスターが入っていたので大使館、学校に配布したら「ムイ・リンダ」すごい美人ですねと大好評だった。 税関に新米を受け取りに行ってもらったお礼に60キロ大使館にやると、皆んなお喜びで「こんなおいしいお米は初めてです」と感謝される。

 一時帰国し県農協ビルにJA秋田中央会小松会長に表敬訪問し、そのことを報告すると大変喜んでくれて、記念品にと秋田小町娘の衣裳 一式プレゼントされた。それを枝豆栽培農家ブランドンの長女マリアナに贈り記念写真をとったら現地新聞に大きく報道され、両国の文化交流に大きく貢献したと宝石 の置物をいただいた時は助手ダニエルの発案で事務所の仲間と共に「サルーン」と祝杯を上げる。その感動を抑えきれず、詩に書き残す。

半球を越えて

果てしないパンパに アロスの穂がなびく

アジアのモンスーン地帯から日本へ

半球をへだてた この地ウルグアイに

我がみちのくに繋がる この稲作の道

この稲が教えてくれた 家族の絆を

仲間の連帯を 民族を越えて燃える

大地の祈りと創造の喜び この思いとどけ

日本東北の町や村に 北の土と農民の胸に

(パンパ=草原、アロス=稲・米)
      
枝豆農家の長女マリアナに小町娘の衣裳を着せて記念撮影
「枝豆の里」のポールは私の作品です
教育・文化のこと

 ウルグアイでは男女が等しく教育の機会を与えられており、字の読めない人はいなく教育レベルも高い。 高校、大学も入学金や授業料もなく勉強したい子は進学できる。
 私の助手ダニエルの長男アルバルト君が通学している小学校から、日本の話をしてくれるよう依頼があり、私は喜んでOkする。
 日本を離れる前、 四年生の孫が通う里見小学校から図画と習字、校長先生からのメッセージを依頼されていたので、大使館でスペイン語に訳してもらい持参したら、 現地小学校の女性校長が感激して「心のこもった素晴らしいメッセージありがとうございました」と涙を浮かべていた。そのことをすぐ里見小学校 に写真を数枚そえて手紙を出したら「ウルグアイの子は皆んな明るい表情で、可愛いですね」と返信の便りが届いた。それもそのはず、ウルグアイ では学校のイジメや家庭内暴力という問題は聞いたことがない。 何回か学校訪問していると、子ども達や先生が街角で出会うと「セニョール・キムラ」と声をかけてくるのも楽しかった。
  学期末には学校帰りに通信簿を見せに私の家に寄り「成績が上がった」と報告されると自分の孫のように可愛かった。その子の親に会うと 「うちのマリアナは木村さんが来てから学校の成績上がった。大きくなったら秋田の大学に留学させたい」と言っていた。

ベジャウニオン小学校にて孫の小学校から送られた作品を説明しているところ。
 2年間お世話になったベジャウニオン市に小学校7校、中学校2校、高校1校あったが、女性の校長が7人なのに驚いた。 日本では男女共同参画推進が今進行中で、その成果は上がっていないが、ウルグアイではすでに達成している感じだ。
 私の職場も民主的で、理事長、部課長、一般職員との間に差別無く対等で、なごやかな雰囲気に包まれ、 何のトラブルもなく一度も不快な思いをしたことも無く、楽しい仕事ができたことに感謝している。
  これも地方都市の田舎暮らしだからこそ人情が心にしみる生活ができたのであり、首都モンテビデオでは味わえなかったかもしれないと思っている。

カーニバルのこと

 リオのカーニバルは世界的に有名だが、ベジャウニオン祭りが歌・踊りとも上だとの評判だ。日本とは季節が逆で2月18日から 6日間連夜、夏のカーニバルに町中が祭り一色に染まる。優雅な踊りと、その磨き上げられたサンバの美しいリズムは、リオの人たちには負けていないと、 胸を張って口々に言う。
 私は、この田舎町でそんなエネルギーがあるのかと思っていたが、その凄さに感動した想いに、郷里秋田西馬音 (にしもない)内盆踊りが私の脳裏に浮かんだ。その日だけは町を出た人たちも皆んな帰郷し家族全員でカーニバルを楽しむ。だから町の人口は何倍に も増え活気がみなぎる。その想いを忘れないうちにと詩に綴る。


中央が踊りの名手マリアナ(14才)
                  郷愁のカーニバル

南半球ウルグアイ国 北のベジャウニオン

夏に咲く農耕文化の華 カーニバルの始まりだ

共存する多民族の人々 一つのリズムに溶ける

遠い故国への慕情に 血を湧かしながら

厳しい労働と 不屈の魂で磨き上げてきた

情熱のリズム 官能の踊りだ

夏の夜空に夢は燃え 日本東北へ飛翔する

瞼の裏によみがえる 艶やかな手と指の動き

優雅なその足の運びに秘められた甚句の思い

ニシモナイ ボンダンス

日本とウルグアイの 両国に通い合うもの

農業生産の場で 民俗芸能の舞台で

燃える不滅のエネルギー われら地球民の祭典こそ

あのカーニバルの源泉だ



日ウ両国の架け橋に

 平成11年6月助手のダニエルと枝豆栽培農家ブランドンが幸運にも日本研修団の一員に選ばれ1ヶ月間日本に来た。 このチャンスに是非秋田の自宅にと願っていたところ、JICA元職員の大野隆次さんの協力で実現した。初めて見る秋田の自然、気候風土、雄物川町 の富田町長の大歓迎に「秋田県民性の心の豊かさを感じた」と帰国報告会で涙ながらに話してくれた。
  そんなこともあってか、私が2年間の任務を終えてベジャウニオン市を去る日、ダニエルや枝豆農家などの呼びかけで 150人が見送りに集まってくれ、大合唱で「アデオス・キムラ」との言葉に思わず涙が光る。
  助手のダニエルが奥さんと近くに来て「キムラさん何か別れの言葉を一言」と耳打ちされたので「アデオス・ベジャウニオン・ミ・アー」( 私のベジャウニオンよサヨウナラ)と腹から声を張り上げ一礼する。長い人生の中で初めての忘れられない光景だった。最初ウルグアイは遠く て迷っていた気持ちが「ウルグアイに来て本当に良かった」としみじみ思う。


ダニエルとブランドンが日本の我が家を訪問
 今でも私の誕生日には「コンプレ・アニオン」(誕生日おめでとう)と国際電話で近況を報告してくれるのが、何より嬉しい。
  秋田県でも従来のミネソタ大学秋田校が、国際教養大学に昇格し、世界に通用する人材育成を地方から発信しようとする時代である。
  私も一県民として、今までの経験や知識を生かして、残された人生を日本、ウルグアイ両国の国際交流の架け橋として、心のこもった 草の根運動に取り組んでゆきたい。

JICA帰国専門家秋田連絡会会報ー12周年記念特別号ー(2004年)から