- 日本海軍軍医 1875年に英国St. トーマス病院に留学
- 脚気は白米の主食が原因であるとして玄米やパンを主食とすること主張、実践。海軍カレーの発案者
- これに対し、東大での陸軍軍医森林太郎(鴎外)は脚気細菌説をとり、高木を徹底的に批判。
- 日露戦争(1904~1905年)の際、日本海軍は殆ど脚気患者を出さなかったが、陸軍では森林太郎軍医の元で20万人を越える脚気患者を出す。
- 高木は脚気についての論文を外国雑誌に発表していたため1906年に欧米に招かれ絶賛(吉村昭著 白い航跡)。
- 慈恵医大を創設し、看護婦教育にも先鞭をつける(St.トーマス病院はナイチンゲールが務めたとこと)
- 結局、脚気は玄米に含まれる物質が関与していることをエイクマンガ発表し、1929年にノーベル生理医学賞受賞。
- しかし、実際にはエイクマンより早い1911年1月に鈴木梅太郎(東大名誉教授)が「糠中の有効成分に就いて」の論文(東京化学雑誌)中で「脚気は玄米に含まれる物質(後にオリザニンと命名)が関与している」ことを発表していた。特に糠中の有効成分はヒトと動物の生存に不可欠な栄養素であることを強調し、後の「ビタミン」の概念をはっきり提示していた。論文がドイツ語に翻訳される際に「これは新しい栄養素である」という一行が訳出されなかったため、オリザニンは世界的な注目を集めることなく、第一発見者としては日本国内で知られるのみとなってしまった。
- 南極大陸には栄養化学で貢献のあった人物の名を記し地名があるが、南緯65度33分・西経64度14分に高木岬がある。