研究機関における獣医師の科学的立場と倫理的立場

Veterinarians In Research Labs Address Conflicting Agendas

by Robert Finn (a freelance science writer)


THE SCIENTIST ; May 26,1996


研究機関の獣医師の仕事は,ときには科学者の意向に反する結論に達することもあり管理者の立場と研究者の立場を使い分けなければならない  

 実験動物を用いた研究の場には以前に比べて官僚主義的な傾向がより強く現れており,獣医師がしばしば官僚主義的な管理者の立場にいる自分自身に気づくことがある.1985年に修正された動物福祉法により,実験動物を使用している研究機関は動物実験計画書を審査,承認するための動物実験委員会(IACUC)を設置することが義務づけられた.そのためIACUCには実験動物医学において専門的な経験をもつ獣医師を少なくとも1名含んでいなければならない.IACUCの獣医師は実験計画を承認したり不承認としたりする権限があり,そして実験方法が動物福祉を守るために作られた数々の規則のどれかに違反している場合には,実験内容の変更を求め実験者を指導する権限を持っている.当然のこととして,そのような仕事はIACUCの獣医師と研究者との間に反目を生じる.

 IACUCでは内容が不明確であるとの理由から,修正させるために実験計画書を研究者に送り返すことがしばしばある.また,ときには麻酔法や術後管理あるいは実験のエンドポイントといった重要な事項について獣医師が変更を強く求めることもある.Bill D. Roebuck(Dartmouth Medical School の毒性学の教授)によると,“IACUCから実験計画書の内容を変更するよう指示されたとき,研究者はときには腹立たしく思う.そして髪を逆立て,かき乱し,困惑する.”

 Johns Hopkins UniversityのCAAT Newletterの論文(13[2]:9-10, 1996)において,Roebuckは次のように記している.“獣医師はやっかいな役割を担っていることを認識することが重要である.獣医師は研究機関のために働いており,研究機関とそこに所属する研究者の両方を悪い状態から守るための義務がある.獣医師と研究者との間での信頼と尊敬の関係が重要である.このような関係を保ちつつ,仕事を遂行しなけらばならない.”

 しかし,研究者がIACUCへの実験計画書の提出を躊躇し,また彼らが,IACUCの獣医師を排除すべき障害物とみなしているなら,その関係を築き上げることは困難であろう.  Philip C. Tillman(University California, Davisのキャンパス獣医師)は次のように言っている.“IACUCが何故自分たちの邪魔をしているかの理由とばかげた形式の書類に記入しなければならないかの理由を研究者は理解していない.”“彼らはインスピレーションをもつ科学者であり,そのインスピレーションは昨晩の寝床で湧いたかもしれない.彼らはその考えをもとに今すぐにでも動物実験を始めようとする.しかし,彼らはそれ以上のことは何もできない・・・.アイデアを思いついてから,承認のための委員会が開かれるまでには少なくとも1カ月かかる.”
 そしてその実験計画書に問題があり,獣医師が麻酔法や術後管理といった重要事項の変更のために実験計画書を送り返した場合には,さらに時間がかかる.もう一つの厄介な問題は,対照群で何匹死亡し,実験群では何匹死亡したかというような,実験の結果として最後に動物が死んでしまう実験計画書を研究者が申請した場合である.
 Tillmanはこれをcounting bodiesと呼び,それはめったに倫理的に許可されないという.そのような実験計画書が提出された場合には,エンドポイントの代わりとなる方法(動物が死ぬまで実験を行うのではなく,それ以前に結果が判定できる方法)を用いるような変更を強く要求する.

 研究者の一部は実験計画書の変更をせまるIACUCの存在は馬鹿げていると考えている.Tillmanはさらに続けて,“それらはすべて官僚主義的考えであり,時間の無駄であり,我々獣医師は重箱の隅をほじくり,科学の発展を阻害していると彼ら研究者は考えているようだ.”“我々獣医師をまるで動物権利論者ででもあるかのように思い,規則を遵守させるために獣医師が実験計画書に対して一見マイナーで筋の通らないように見える変更を強要しようものなら,研究者は特にそれに苛立たしさを感じる.

 研究者とIACUCの獣医師はともにTillmanのよき助言者の言葉を思い出すとよい.Tillmanは自分の仕事は研究者の邪魔をしているのではないかと悩んだ.しかし,彼の助言者は大きな視点でとらえるように彼に言った.“貴方がやっていることは彼ら研究者が仕事をできるように保護しているのである.”Tillmanは助言者の言ったことを思い出す.“もしIACUCの機構がないなら,研究を支援する一般市民の信頼は得られないであろう”そのことを研究者は気づいていないかもしれない.彼らのためを思い,一生懸命努力しているからこそ,彼らの研究資金が滞りなく支給されるのである.

動物実験反対運動の批評家

 研究者の一部がIACUCの獣医師を邪魔者としてみなしているという批判がある一方で,別の側からの批判も獣医師はしばしば耳にする.IACUCの獣医師は動物実験の継続を可能にさせているという理由から,“ALF(動物実験に反対している急進的な動物権利論者のグループ)はIACUCの獣医師を研究社会の裏切り者と考えている”“もしIACUCの獣医師が研究者と動物権利論グループの両方から同じ量の嫌がらせの手紙を受け取ったなら,その人はかなり良い仕事をしていると言われる”とTillmanは悲しげにコメントしている.

 そして動物を非人道的に取り扱っているとして動物権利論者が実験者を糾弾するときに,IACUCの獣医師は一般市民との論戦において最前線にいる自分自身に気づく.こういったことは獣医師として何年修業を積んでも教えてもらえないもののひとつである.
Tillmanは述べる.困ったことには,そのような論戦の最中にニュースメディアが事実をゆがめたり半分の事実しか書かなかったりすることである.批判は内容を上手く伝えることが難しい実験が原因である場合が多い.獣医師が急にマイクやカメラを向けられ,短いコメントを求められたときにとくにそのようなことが起こる.“僅か10秒の間にすべての専門的なことを説明しようとすれば,それは‘あなたはいつ奥さんを殴るのを止めたか’といった質問に答えるようなものである”とTillmanは不平を述べている.


 その実験について獣医学的にどんなによい説明をしたとしても,いつも否定的な反応がかえってくる.“カメラの前に立った後は必ず嫌がらせの手紙を受け取る.その中の幾つかには気味の悪いものもある.病気の小鳥が何羽か置いてあったり,この前写真に写ったときには,翌日自宅の玄関前に死んだ魚が置かれていたりした・・・.彼らが魚を殺すときに人道的に行ったことを望む”

 しかし,すべての動物保護者組織が動物施設の獣医師を裏切り者と見ているわけではない.例えば,ワシントンに本部を持つHumane Society of the United States(合衆国人道協会)はIACUCの獣医師は動物福祉を促進する素晴らしい仕事をしているとみなしている.

 Martin L. Stephens(動物実験問題に関する人道協会副会長)は動物実験施設の獣医師に対して好意的な見方をしている.“実験計画書を審査することにより,不必要な苦痛から動物を守る最前線の役割を獣医師がになっていると思う.”“そして同時に実験室で飼育されている動物の飼育環境をよくするために獣医師は活躍している.このような飼育環境の改善は動物が退屈することや他のストレスを減らすことにつながるだろう.”

獣医師の訓練

 研究機関の動物に対する関心の深さを測定する指標の一つは,実験動物獣医師に要求されている訓練の多さである.動物福祉法では単に“IACUCの獣医師は実験動物医学においてある程度の経験を有すること”となっているだけであるが,大部分の獣医師は獣医学校を卒業後数年にわたり広範な正式の訓練を受けてきている.さらにそのうちの多くはアメリカ実験動物医学会(ACLAM)からの認定書を受けている.

 Harry Rozmiarek(ACLAMの会長に選出された,ペンシルバニア大学の実験動物医学部門の長)によると,認定書を得るには多くの高いハードルを通過しなければならない.これまでに僅かに500人の獣医師がそれを達成したに過ぎない.将来実験動物獣医師を目指す者は獣医学校を終えた後,実験動物医学において正式な訓練と実際の経験を併せて4年間行うか,あるいはもし正式な訓練を受けていないのであれば,フルタイム職員として6年間の経験を有することが必要である.また,科学雑誌に発表するなどして獣医学の進展に何らかの寄与したことを証明しなければならない.そして厳しい試験に合格しなければならない.しかし,個人営業の地方獣医師で知識が不足している彼らにこのような訓練をしたからといってどんな専門的な知識が与えられるのであろうか.
Tillmanは答える.“一般の獣医師にマウスやラットの病名を尋ねたなら,たぶん2つくらいしか答えられないだろうが,実験動物獣医師は50は数え上げる.”それ程,実験動物に関して豊富な知識をもっている.その他でも,実験動物獣医師は麻酔に関しては一般の獣医師よりは詳しい.その理由は実験に特殊な麻酔薬を使うためである.さらに,実験動物獣医師は適切なケージサイズに関する規則や環境エンリッチメントの要求などの連邦の規則を理解し,遵守するための専門家でなければならない.“仕事の少なくとも50%は規則を知ることである”とTillmanは述べている.

 しかし,大部分の獣医師はその分野(連邦の規則を理解し,遵守させるという管理的な分野)に足を踏み入れない.というのは彼らは自分達が実験主体者となって実験計画書に記載することを好むためである.“人々が実験動物医学の分野に入りたがる理由の一つには,自分たちが思いのままに動物を取り扱える機会を多くもてることにある”とLinda C. Cork(スタンフォード大学メディカルセンター比較医学講座の講座主任で教授,獣医病理学者)は説明する.“例えば私はイヌの遺伝病を研究している.そして自分自身の研究が正しいと信じている.これらのイヌ達が受けている管理を普通の個人営業の人々が行うことは,経済的理由からも,科学的な理由からも不可能であろう.彼らはそれを達成するための技術と知識を持っていない.そしてそれがたとえあったとしても,彼らは経済的にも実行可能ではないであろう.実験動物に対する獣医学的管理は一般市民が考えているよりもはるかに質の高いものであると私は思う.”

 人道協会のStephensはさらにその向上を願っている.“獣医師以外の人が,実験動物に対して獣医学的な外科処置ができることを我々は残念に思う.研究機関において獣医師がもっと権力を持つことを望む.”さらに,Stephensは強調する.“IACUCで働らきそして動物施設で働らいている獣医師はすべて実験動物医学の認定を受けているということを実現して欲しい.少なくとも施設の筆頭獣医師は認定を受けた人であるべきだ.”

多くの役割

 そしてStephensはIACUCの獣医師には多くの役割があり過ぎるということに関心を持っている.確かに獣医師自身が研究者であり,IACUCに実験計画書を提出するようなときに,問題が出てくる場合がある.もちろん彼ら自身の計画書が審査されるときには,自発的に欠席することを期待する.しかし,彼らが自分の計画書を審査する審査員となった場合には,‘貴方が私の計画書に目をつぶってくれたなら,私も貴方の計画書には目をつむる’といったなれ合いに陥る可能性がある.その誘惑に屈服するのは人間のサガである.

 しかし,この誘惑に対する大変強い歯止めがあるとCorkは考える.連邦の法律によると“彼らIACUCの委員が動物福祉法に従わなかった場合には,研究機関は多大なリスクと債務を負うこととなる.我々は動物に人道的な取り扱いと管理が与えられるようにしている.私は獣医師が実験する場合であっても深刻な問題が生じるとは思わない.”

 IACUCの獣医師が委員会の委員長でもあり,同一人物が動物施設の施設長でもある場合にも研究者との対立が生じやすい.John G. Vandenbergh(ノースカロライナ州立大学動物学教授)は次のように助言する.“担当獣医師がIACUCの長でもあることに問題があり,私はその配置を推奨しない.”“問題は筆頭獣医師がIACUCの委員長も兼ねることにより本来獣医師が持っている権力よりも大きな権力を持ってしまうことにある.
IACUCの委員であることは実際に行われている研究の種類から見るとある意味で門番としての役割を持っている.それは研究機関に係わりのない人の責任であるべきと私は考える.獣医師は委員会の一委員であり,委員長的な役回りにないことが重要であると考える”

 それに対して,RozmiarekはIACUCの獣医師の役割は滅多に対立を生じないと考えている.“獣医師がIACUCの長であり施設の長であった場合でも,そのことは両立すると考える.研究者であることにより研究動物に対して動物の福祉を確実とする要求をより理解できるし,サービスと支援(日常の飼育と臨床的手当)という観点から動物の管理と使用を指導し,監視する責任があることにより,研究支援がどの程度のレベルにあるべきかを理解するのに適した立場にいる.”

研究者との衝突

 しかしながら,大部分のIACUCの獣医師達は自分達を研究者であるとは思っていない.そのため科学者と獣医師との間での衝突がときおり生じる.UC-Davisではこのような衝突の原因の大部分は,プロトコールの記載不備によるものであるとTillmanは言う.研究者は委員会や一般市民に対して自分の考えをはっきりと表現するよう要求されていることを理解すべきである.しかし,多くの研究者はそれができない.聡明な科学者の中にも普通の人に理解できるような文章で2〜3枚の書類を書くことさえできない人が何人かいることには少なからず驚かされる.

 Corkは次のように述べている.“彼らは自分の持論に関して普段は大変聡明である.動物の管理の仕方については大変明快であり,訓練する必要のある人についても通常かなり明瞭である.しかし,自分自身の考えについてはあまり詳しく述べたがらないし,記入することを簡単に忘れてしまう.投与量や誰が何をしようとしているかといった簡単なことについて書き漏らしてしまう.”

 しかし,IACUCの獣医師は研究者が特殊な研究計画に対して持っているこだわりを理解する必要があるとVandenberghは考える.“彼らの多くは研究生活の大半を特殊な病気,動物,あるいは生理機序を研究することで費やしてきた”と指摘する.“そのことに関してはかなりのエゴがある.獣医師はもっと幅広く訓練されており,そのため,全体をより広い視野から眺めることができる.しかし科学者が関わっているものを彼らと同じように興味を持って見ることができず,それをやや不可解なものとみる傾向があるかもしれない.”

 実験計画書にはできるだけ衝突を避けるように,将来の融通性を最大限にするように書くことをVandenberghは研究者に助言している.“研究計画におけるささいな変更の多くは実験計画書を融通性を持って書くことによってカバーできる.私が言いたいのは実験計画書の内容に嘘を書けということではない.実験計画書の書き方によって研究活動が極端に制限されるかあるいはすこしの余裕ができるかということである.もし学内のIACUCが実験計画書を受理した場合には,その審査が過度に遅れてはならない.”さらに既存の実験計画書に修正を加えるだけの場合には委員長の署名で事足りると彼は述べている.

 研究者とIACUCの間の衝突の最も大きな原因の一つは委員会が越権行為をしていると研究者がみなした場合である.研究の質に関する判断あるいは個人的見解での実験の可否はIACUCや獣医師によってなされるべきではないとVandenberghは説明している.“研究の質に関しては研究者の責任であり,またグラントを提供する審査員や発表論文の審査員の責任である.”

 Tillmanは指摘する.“獣医師が研究者に関して知る必要のあることは獣医師はすべてを知っているわけではないということである・・・.研究者は疑問をもつように訓練されており,軽々しく物事を信じないように訓練されている.そして獣医師は多くのことを機械的に学んでいる・・・.獣医師は自分の知識の限界を知る必要があり,実験者の立場から物事を考える必要がある.”

 研究者と獣医師の間で非公式のミーティングを行うことにより不必要な衝突を避けることが可能であるとVandenberghは示唆する.“年に1度か2度我々は獣医師と席をともにし,我々がしている研究から得られる成果について語る.それにより幾つかの良い結果を生じる.その一つは二つのグループの間の親交を結ぶ助けとなる.そして獣医師がするべきことを彼らに気づかせることができる.だから普通でない極めて特殊なことに獣医師が直面したとき,どうすべきかを感じとることができる.”

 そしてTillmanは研究者とIACUCの間の溝にかける橋として別の方法を持っている.“委員会で問題となるような研究者を委員会の委員にすることを毎年試みている・・・.これらの人々は自分たちの経験をもとに委員会に貢献することができると考える.彼らは過度の研究妨害者から委員会を守るので委員会にとってはよい存在となる.それと同時に彼らが委員会の視点をもつことによって実験計画書を審査することがいかに大変なことであるかを理解する.”

 最後にRozmiarekはIACUCの獣医師は一つの重要な事実を思い起こす必要があると説いている.それは“研究者が金を支払っているのであり,そのことを我々獣医師は念頭におく必要がある.動物の管理と使用に関する施設の管理方法あるいは指導方法を決めるにあたっては,我々自身が最高の研究者としての立場で物事を考える必要がある.”

訳 松田幸久


倫理的動物実験