実験動物の飼養及び保管等に関する基準の改正を考える
-実験動物の健康の保持-

松田幸久(秋田大学医学部附属動物実験施設)

  1. はじめに

    1999年に「動物の保護及び管理に関する法律」が20年ぶりに改正され「動物の愛護及び管理に関する法律」(動物愛護法)となった。今回の改正では愛玩動物を主眼として,飼い主責任と罰則が強化された。動物実験については1980年に作られた「実験動物の飼養及び保管等に関する基準」(基準)を遵守し,自主的管理を行うということで改正から除外された。ただし「政府は、この法律の施行後5年を目途として、今後の法律の施行状況を踏まえ、必要があると認めたときには、所要の措置を講ずる」との衆議院および参議院の付帯決議と付則がある。このため動物愛護法が3年後に見直される可能性もある。このような状況のなか,動物保護を主唱する人々はわが国の動物実験が自主的管理だけでは十分な実験動物福祉を期待できないとして,動物実験の許可制,民間人を含めた動物実験委員会の設置,査察制度の3項目を法律あるいは基準に盛り込むことを要求して運動を展開している。また,実験動物を管理する立場の人々からは,わが国の実験動物の福祉を欧米諸国と同等のレベルまで引き上げるためには多少の修正があってもよかったのではないかという意見も聞かれる。今回,札幌で開催された第26回日本実験動物環境研究会においてシンポジストはじめ会員の方々から種々の意見を聞かせていただいたので,それも参考として私の考えをまとめてみた。


  2. CIOMSの国際原則とわが国の法律・基準・指針との関係

    動物実験は人類の福祉・健康の増進や科学技術の進歩に計りしれない恩恵をもたらしてきた。しかし,治療法,予防法の解明が待たれる多くの病気がまだまだある。そのため生命現象の謎を解明し,病に苦しむ人々を救うために今後も動物実験は必要である。しかし,その一方では,動物実験の在り方について,科学的な研究推進の立場から,あるいは動物福祉の立場から,学界のみならず一般社会からも多様な意見や要望が出されていた。そのような状況に鑑み国際医学研究協議会(CIOMS)はWHOの協力のもとに1985年に「医学生物学領域の動物実験に関する国際原則」を作成した。このCIOMSの国際原則はラッセルとバーチが提唱した3R's(Reduction, Replacement, Refinement)を基調としており,先進諸外国の多くが自国の法律や基準にこの原則を取り入れている6)
    今回改正されたわが国の動物愛護法では,「動物実験に関しては現行の基準に基づく自主管理を基本とすべき」として改正からは除外された。そして1980年に制定された基準にもCIOMSの原則は取り入れられていない。このことから,今回改正された動物愛護法も含め,わが国の動物実験に関する法律にCIOMSの国際原則は取り入れられていないこととなる。
    CIOMSの原則は1987年に出された文部省通知「大学等における動物実験について」に盛り込まれ,大学等は動物実験委員会を設け,動物実験指針を制定することにより動物福祉の立場からも適切な配慮を行うように指導されている。
    大学等では文部省の指導に基づき自主的に動物実験指針を制定し,動物実験委員会を設置した。そして動物実験が科学的にはもとより動物福祉の立場からも適切な配慮がなされた実験であることを確実とするために,動物実験委員会による動物実験計画書の審査が行われている。このように大学等においては基準に基づいてというよりは文部省の行政指導のもとに自主的に作られた指針に基づいて実験動物の福祉が推進されている。


  3. 情報公開法と実験計画書の開示

    動物保護を主唱する人々は大学の自主的管理では十分な実験動物福祉は期待できないとして, 2000年に施行された「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」(情報公開法)を利用して活動を展開している。動物保護団体に所属する市民が大学における動物実験の管理状況を確認するために,幾つかの国立大学に動物実験に関する行政文書の開示請求を行っている。この行政文書の中には動物実験計画書も含まれている。開示請求を受けた大学は国立大学医学部長会議の見解をもとにプライオリティーと個人の識別情報を除いて実験計画書を部分開示した。しかし,開示請求者からは全面開示を求めて不服申請が出されている。動物福祉団体が求めるこのような情報公開のありかたは研究者のプライオリティーとセキュリテイーを脅かし,ひいてはわが国の国益の損失にも繋がると懸念する研究者も多い。
    すでに情報公開制度が定着している欧米諸国を見ると,たとえ部分開示であったにせよ動物実験計画書そのものを開示している国はほとんどない。その理由として,欧米諸国にはCIOMSの原則を取り入れた法律,基準あるいは指針が完備していることがあげられる。
    ところで,米国においても大学を含む研究機関で行われる動物実験については動物実験委員会(IACUC)による自主規制のシステムが中心となっている。その自主規制はILARのGuide(NIHが関与して作成した「実験動物の管理と使用に関する指針」)に基づいて行われており, それが確実に行われていることを米国農務省(USDA)あるいは実験動物施設認定協会(AAALAC)がチェックしている。このようなシステムがあるために,米国で行われる動物実験に関しては一般国民の合意が得られている3, 4, 5)
    過ぎたる動物愛護・保護の精神は適正で健全な医学生物学研究の進展を阻害しかねないが,動物実験の継続的な実施を可能とするためには,文部省の行政指導に基づいた自主規制だけではなく,わが国の実情や文化を踏まえた動物実験の法的規制が必要であると考える研究者も増えている。


  4. 基準を改定するとしたら

    2002年5月に「家庭動物の飼養と保管に関する基準」が環境省から告示されたが,その基準には具体的な実施法の細部にまで踏み込んだ記述はない。この基準の作成に関わった竹内 啓先生は「具体的な実施法の細部にまで踏み込んだ記述は告示にはなじまない。これらについては近々作成予定の本基準の解説的資料の中で記述することになろう」と述べている1)
    「現行の基準は実験動物の飼養と保管に関する事項を定めたものであり,動物実験に対する基準ではない。そのため実験中の動物をも保護するために基準を改正すべきである」。この言葉は基準の作成に関わった前島一淑先生により述べられている。実験動物の基準を改正するならば,CIOMSの原則で提案されており,現行の基準にはない項目,つまり1)動物実験施設の登録(届け出),2)動物実験委員会の設置,3)公的または第三者機関による動物実験委員会機能のチェック,4)獣医学的な管理等を条文の項目に数行程度付け加えることで足り,この4項目が加えられたならば,実験中の動物も保護されるであろうと考える。
    そして具体的な実施法の細部は家庭動物の基準と同様に,基準の解説書に記述するのが適当である。今回の研究会においてシンポジストの夏目克彦先生は「基準が改正されるとすれば,少なくとも,ケージサイズについては具体的な数字が示されなければならない。具体的な数字はILARのGuideに合わせるのが早道である」と述べている。この具体的な数値は基準に盛り込むのではなく,基準の解説書に記述するほうがよいと考える。
    今回のシンポジウムの副題は「実験動物の健康及び安全の保持」となっている。実験動物の健康及び安全の保持には,ケージや実験動物を取り巻く環境条件だけでなく,獣医学的管理も大きく関与する。環境基準に関しては,これまで本研究会が中心となり様々な検討を加えてきたところであり,それらの具体的な数値に関しては本会から提案していただくことを期待する。また,獣医学的管理に基づく苦痛の緩和法等の具体的な内容に関しては黒沢先生が指摘しているように獣医師が主体である日本実験動物医学会が検討するのが適当であろう。そしてそれらの具体的な実施方法を基準の解説書に記述し,この基準の解説書をILARのGuideと同様に位置づけて各研究機関の動物実験委員会が自主規制を行う。その自主規制が適切に行われていることを第三機関がチェックするという米国方式の規制システムを提唱する。


  5. おわりに

    基準の作成に関わったもう一人の先達である田嶋嘉雄先生は実験動物の基準作成経過において次のように述べている。「動物保護を主唱する人々は厳重な規制を望むだろうし,逆に動物実験を行う立場の人々は,制約を受けるかもしれないこの種の基準作成にはたいてい否定的だった。そこで,時にはこの両サイドの人々と話し合いながら作業を進めたほうがよいと考え,あえて急がなかったわけである。基準をつくるにあたって,今ひとつ考えたことは,いきなり理想的なものをめざすのではなく,さしあたり無理なく実施できるものをつくり,5年なり10年なりたったら改訂すればよい」2)
    現行の基準ができてからすでに20年を経過し,社会情勢も動物実験を行う立場の人々の考えも上述したように変わってきている。そろそろ基準の改正を急ぐ時期ではなかろうか。
    基準の改正にあたっては青木人志先生(一橋大学大学院法学研究科)が述べているように,監督行政官庁,動物実験者,実験動物管理者,動物保護団体といった人たちを交えた幅広い検討が必要であるが6),検討するにあたってのたたき台を本研究会あるいは実験動物医学会等がつくるべきと考える。そのような検討を踏まえ,少なくとも社会的な合意が得られ,そして国際的なハーモナイゼーションをも考慮した基準に改正されることを願う次第である。


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